阿字觀とは? わかりやすく解説

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あじ‐かん〔‐クワン〕【×阿字観】

読み方:あじかん

仏語密教で、阿字自己含めて一切事象をおさめ、一切がそれ自体において本来、生滅がないという理を観ずる瞑想法


阿字観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 04:11 UTC 版)

阿字観(あじかん)は、密教の根本経典の一つである『大日経』(大正蔵:№848)において初出し、主に密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。


  1. ^ 詳細は記事「四度加行」を参照。
  2. ^ この時の惨状が鴨長明の『方丈記』(国宝)に詳しく述べられており、「山は崩れて河を埋め、海は津波となって陸地を飲み込んだ。地面は裂けて水が噴出し、崖は崩れて谷を転がり、沖の船は波に打たれて転覆し、道行く馬は立ち上がり、転げまわった。京都から近郊に至るまで、ありとあらゆる所の神社・仏閣を含む、全ての建物が倒壊してしまった。その様は、塵芥となって煙が立ち登り、地鳴りや家の潰れる音は、まるで雷が落ちたようであった。家の中に居れば下敷きとなり、外に出れば地割れの中に落ちてしまう。羽があって空を飛んで逃げるようなことは、竜神でなければ出来ない。世の中で最も恐ろしい出来事は、ただ、地震以外にはないと思うばかりだ」とある。その後、この状態が断続的に約3ヶ月間も続いたという。この地震の被害があまりに大きかったので、縁起をかついで改暦を行い、名称を「文治」とした。そのため新暦の名を冠し「文治地震」という。
  3. ^ 精神鍛錬。
  4. ^ 「すそくかん」と読む。
  5. ^ 「あそくかん」と読む。
  6. ^ 「がちりんかん」と読む。現行の「月輪観」次第は、覚鑁の編集によるものである。
  7. ^ 『胎蔵界法』には内と外と器界の3種類からなる「五輪観」がある。そのうち、内的な瑜伽行法を伝えるのは「内五輪観」。現行の真言宗における『胎蔵界法』の「五輪観」は、3種類の瞑想を一つにした「外五輪観」の卒塔婆五輪塔)を観想する。なお、五輪を重ねる順番に関して多くは「地水火風空」の順であるが、『大日経疏』では逆向きになるなど、経軌により出没が異なっている。
  8. ^ 多種類ある。
  9. ^ 別名を「吽字観」ともいう。また、先の「護身法」に関連して色々な解釈がある古法の一つ。
  10. ^ 『阿字義』、1巻:平安時代の末期、12世紀の作、重要文化財、藤田美術館蔵。別名「阿字義伝」ともいう、唐房法橋(1047年没)の口伝とされ、平安時代から鎌倉時代にかけて写本が多く作られる。文中に『観無量寿経』や『法華経』の浄土思想を説き、高野山の『六字名号口訣』等にも影響を及ぼし、密教と念仏とを実践上で結びつける一因ともなった。
  11. ^ 「六根」とは眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根の6つを指し、五感と心とを意味する。
  12. ^ この段は、空海伝とするところの古法に属する『胎蔵界法』の秘奥の一つ、『百光王』について語っている。中国密教ではこれを「阿字千光観」(あじせんこうかん)という。
  13. ^ 心輪から広がるスポーク状の脈管のこと。
  14. ^ ここでは花の中心の髄と、観想の真髄を掛けている。
  15. ^ ここでは、自覚できず、自身で知るすべもないので、「言い表すことはできない」としている。
  16. ^ 正式名を『大悲胎蔵曼荼羅』という。
  17. ^ 「阿息観」のバリエーションで、別名「長寿観」(長寿の観想)ともいう。中国密教には現在も「阿字観」と共に神仙術とは異なる「長寿の瑜伽行法」を伝えている。
  18. ^ 原文には「五寸」とある。
  19. ^ 原文には「十方に遊ぶ」とある。
  20. ^ 『印言』とは、「印契を結び真言を唱える」ことの略。
  21. ^ 本来、護身法は経典や儀軌ごとに印契真言が異なり、次第の内容も異なるため、今日では、名称のみが共通の慣習的な作法と考えられがちであるが、古密教や中国密教、チベット密教ではいまだに重要な修法となっている。僧侶には「護身法加行」として伝えられ、在家には仏具屋の店頭売りの経本によって民間にも広まっている「護身法」[要出典]は、弘法大師空海の『十八契印』を基とするもので、その起源は古く修法の注釈も多数存在する。いわゆる伝統に類するものは、禅における「ただ座る」や、武道における「立つこと」や「歩くこと」と同様に、単純なものほど難しく、深い教えに属するものなので、その意味で日本密教でも護身法をその一つとして挙げることができる。専門的な次第や注釈書は多々あるが、一般人が読むことのできるものとしては、「『密教大系』第九巻 密教の実践[3 護身法・十八道]」に収められている「護身法の研究」(高井観海)では、「三部灌頂」をはじめとするそれらの資料について触れている。
  22. ^ 現行の次第では「浄三業」のみあって「観空」が無い、中国密教ではこれを「浄業観空」、チベット密教では「観空呪」とする。古密教では阿字観の前に『理趣経加行』があり、その中で口伝として、古密教では「清浄」と「空性」が同じ意味であると教わる[要出典]。 この口伝が正しいことは、『理趣経』の先行経典である『大般若経』の巻五七八・第十の「理趣分」に、文中「爾時世尊為諸菩薩。説一切法甚深微妙。般若理趣清浄法門。此門即是菩薩句義。云何名為菩薩句義。謂極妙楽清浄句義。是菩薩句義。」と書き出し、更に「色蘊空寂清浄句義。是菩薩句義。」として、『理趣経』で「清浄」とあるのを、『大般若経』の「理趣分」では「空寂で清浄」としていることからも分かる。 つまりは「清浄=空性」であるから、この「浄三業」の真言の意味が変わってくることになる。曰く、「一切諸法は自性が清浄で空性なるが故に、我もまた自性が清浄で空性なり。(それ故、諸法は空性となり、自身もまた空性に満たされ、心も体も空そのものに帰る。)」となり、ここで要求されているのは、般若の[空観]もしくは[虚空観]である。
  23. ^ 「五仏灌頂真言」は、別名を「大金剛輪印言」とも言い、現行の次第では「補欠真言」の意味あいとして修法の最後に唱えることになっているが、古次第では各108反(回)を次第の途中3箇所で唱えることになっている[要出典]。前の2回は「五仏灌頂真言」と呼ばれ、後の1回は「補欠真言」と呼ばれる。次第によってはこの場所に入らないものがあるが、「五輪観」に合わせてここに入れた。「五仏灌頂真言」の際の尊格は五仏と五部族の諸仏菩薩で、「補欠真言」の際の尊格は憤怒相の大輪明王となる。「大金剛輪印言」は、日本密教ではいかなる修法にも登場するほどポピュラーなものであるが、古密教でも特に灌頂との関連において重視されていて、『理趣釈経』によると密教の阿闍梨は必ずこの尊挌をお祀りし、曼荼羅を掲げるべきであるとされる[要出典]
  24. ^ 現行の日本密教では「瓶灌頂」のみあって、チベット密教のように「四灌頂」が無いとされるが、古密教には護身法を含めて「四灌頂」があり、これは『理趣経』本文や『理趣釈経』を注意して読めば、「四灌頂」に関係する記述が見られる[要出典]。また、逆の例として文献上だけに限定すれば、無上瑜伽に属する『大幻化網タントラ』の原典には、灌頂の作法としての「四灌頂」を説かないとされる。[この項『幻化網タントラにおける灌頂』参照。]
  25. ^ この「四灌頂」は『大日経』系の分類に従ったもので、『金剛頂経』系の「四灌頂」とは異なる。
  26. ^ 今日の「阿息観」は、これを出典としている。また、『阿字義』に説かれる「四仏四菩薩」と「曼荼羅」なども、この「九重阿字観」があることによる記述である。
  27. ^ 「覧字観」(ランじかん)は、今日の次第では「ランバン加持」として、『瀉水加持』の作法の一部となって形骸化しているが、古密教の作法では「覧字観」と「バン字観」、「瀉水」という別々の修法であり、「瀉水」の水を加持する際に「ラン字の加持」は存在しない。なお、「覧字観」の印契には2種類有る。金剛合掌を結ぶものと、三角印を結ぶもので、金剛合掌の場合は深く結んで炎を表し、三角印の場合は、頭頂では正三角形を結び、臍では逆三角形を結ぶ。この三角印は、後の無上瑜伽タントラにおいて説かれる「白いチッタ」と「赤いチッタ」に相当するものとも思われ、正三角形と逆三角形の組み合わせは「生法宮」の智火に通じるものがある[要出典]
  28. ^ 「輪宝」は弘法大師空海の請来に始まり、蓮華の台座の上に「八幅輪の法輪」を乗せた法具のことを言う。現在は、密教寺院において主に黄銅(真鍮)製のものを、道場荘厳用として用いている。ただし、ここでは密教の瑜伽行におけるチャクラ(漢訳;輪)のことを指しており、観想の姿は先の法具と同様に、蓮華の上に水平に載った「法輪」である。クンダリーニ・ヨーガ等では、ヒンドゥー教の絵画の影響で、垂直に立ったチャクラを説く[誰によって?]が、密教では、古密教や中国密教、チベット密教も共通して、中脈と呼ばれる垂直な車軸に相当するものを中心として、水平になった車輪状の「法輪」を観想する[要出典]
  29. ^ ここでは五輪の位置を、便宜上から「四輪三脈」の説に一致させた。
  30. ^ 『小僧次第』の五輪観の「切紙」に、空輪は虚空の如しとあるのによる。
  31. ^ 五輪観の成就によって曼荼羅を現出したことによる讃嘆頌。今日これを、本来は讃嘆の偈頌にもかかわらず「胎蔵界五字明呪」として本尊の真言とするのは、それほど重要な境地を詠ったものだからである。同様の例がチベット密教にもあり、金剛薩埵の「百字明呪」がそれである。日本の古密教では、「百字明呪」は金剛薩埵への梵語の讃嘆文であると明記されていて[要出典]、長い梵語の文章なので現行の次第では省略されてしまったが、チベット密教では、これが重要な文章なので真言に等しい扱いを受けるうちに、梵語であるため後に真言と思われるようになった。無論、真言でも讃嘆文でも、それぞれの修法における効用は変わらない。なお、古密教ではこれをあくまでも境地として、別に「本尊呪」を説く[要出典]


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