開発、製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:12 UTC 版)
1991年からグループCレースは燃費制限をなくしたNA3.5L規格で行われることになった。しかし、日産はグループCのNA化には反対であり、1991年シーズンもターボ・マシンでSWCに参戦する計画を立てていたが、SWCのターボ・マシンに対するハンディキャップが大きいため1991年のSWCへの参戦を断念することになった。しかし、日産としてはグループCのNA化には反対ではあるものの、NA3.5L仕様のグループCマシンを開発していくことになった。日産では当時、同一形式のエンジンによるフォーミュラ1(F1)参戦を検討しており、SWC/JSPCにおいて先行開発を行う思惑もあったという。 NP35は1990年に開発が始まった。まず先行して林義正率いるエンジン開発チームにより、1991年より施行されたグループCの新エンジンルール(3.5リッター・自然吸気エンジン)に適合するエンジンとして、3.5リッター・V型12気筒のVRT35が開発された。1991年に入ると日産の米国レース子会社であるNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー)によりシャシーの開発プロジェクトがスタートする。シャシー設計はトレバー・ハリス、エアロダイナミクス担当は日産・R90CPのカウルデザインなども担当した鈴鹿美隆が行った。 エンジンは1991年春に完成し、シャシーが完成するまでの間インディカー用のシャシーに搭載して開発テストが行われた。1992年にはNPTI製作のシャシー、P35も完成しアメリカ国内で開発テストが重ねられた。日産ではR89C以降カーボンモノコックを採用していたため、林らのエンジンチームでは同様にカーボンモノコックでのマシン開発を求めていたが、P35はNPTIがカーボンモノコックの製作経験がないため、アルミハニカムにカーボンコンポジットを組み合わせたハイブリッドタイプで製作された。 また、日本でもNISMOが中心となり、P35の設計図を元にフルカーボン製モノコックのNP35を開発した。NP35はJSPCで使われる予選専用タイヤに対応するためサスペンション等に強化が施されていた。
※この「開発、製作」の解説は、「日産・NP35」の解説の一部です。
「開発、製作」を含む「日産・NP35」の記事については、「日産・NP35」の概要を参照ください。
- 開発、製作のページへのリンク