長興寺 (田原市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:00 UTC 版)
長興寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県田原市大久保町岩下8 |
位置 | 北緯34度39分29.4秒 東経137度13分47.6秒 / 北緯34.658167度 東経137.229889度座標: 北緯34度39分29.4秒 東経137度13分47.6秒 / 北緯34.658167度 東経137.229889度 |
山号 | 雲龍山 |
宗旨 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建年 | (伝)建治元年(1275年) |
開基 | (伝)後深草上皇 |
中興年 | 文明14年(1482年) |
中興 | 戸田宗光(開基)、廬嶽洞都(開山) |
正式名 | 雲龍山 長興寺 |
文化財 | 木造観世音菩薩立像(愛知県指定文化財) |
法人番号 |
2180305003059 ![]() |
長興寺(ちょうこうじ)は、愛知県田原市大久保町にある曹洞宗の寺院である。
概要
歴史
寺伝によれば、建治元年(1275年)に後深草上皇の発願により、大覚寺という天台宗の寺院として創建されたという[1][2]。その後臨済宗に改宗するが[3]、室町時代に入ると戦乱の影響で廃寺同然まで衰微した。
文明14年(1482年)に、三河渥美郡の分郡守護代・一色政照(七郎)の菩提を弔うため、猶子である田原城主・戸田宗光が廬嶽洞都に懇請し、弟子の春崗慧成が入寺して大覚寺を再興した[3][4][注釈 1]。この時に曹洞宗に改宗し、寺号を長興寺と改めて、廬嶽を勧請開山とした。宗光は、同寺に寺領50貫文を寄進し、代々の菩提寺と定めている[5]。
宗光の曽孫である戸田康光が天文16年(1547年)に今川氏に滅ぼされると寺領の大半を失うが、田原城代となった朝比奈元智の仲介によって永禄5年(1562年)には全て回復し[6]、さらに今川氏真や徳川家康からの寄進・庇護を受けた。
その後、田原藩第2代藩主・戸田忠能に至るまで、田原戸田家歴代当主の墓所が境内に営まれた。慶安元年(1684年)には朱印地100石を与えられている[7]。
境内
主な建築
- 山門 - 元禄7年(1694年)の建築。
- 中雀門 - 天保2年(1831年)の建築。山門と本堂の中間に位置し、門の東西に回廊が延びている。
- 本堂 - 本尊の釈迦牟尼仏を安置する。
- 十王堂 - 十王・奪衣婆と地蔵菩薩を安置する。創建年代は不明だが、元文5年(1740年)に堂主が死去した旨の記録が同寺に伝わっており、少なくともその時点で存在したことになる[8]。もともと山門の前にあったが、明治27年(1894年)に暴風雨で倒壊し、翌年境内に移設された。
- 庫裏
- 鎮守社
- 収蔵庫
戸田氏墓所
境内西側に歴代の戸田氏当主やその妻などの墓所が整備され、西(墓所正面から向かって左)から以下の順に墓石が南面して並んでいる。
また、宗光の墓の手前(墓所西南隅)には、一色政照(七郎)の墓が東側を向いて建っている。もともとは、田原市大草町にあった宝憧寺[注釈 2]に建てられていた墓で、昭和40年(1965年)に長興寺へ改葬された。
- 戸田宗光
- 芳源院(戸田宗光室)
- 戸田憲光
- 戸田政光
- 戸田忠政
- 戸田忠次
- 徳雲院(戸田忠次室)
- 戸田尊次
- 萬松院(戸田尊次室)
- 戸田忠能
- 久昌院(戸田忠能室)
- 戸田忠次(忠継)[注釈 3]
- 陽徳院(戸田忠次(忠継)室)
- 九鬼守隆[注釈 4]
- 天翁院(九鬼守隆室)
- 戸田外記[注釈 5]
- 戸田康光
文化財
愛知県指定文化財
- 木造観世音菩薩立像[10][11]
- 高さ約110cm、桧材の一木造。平安時代-鎌倉時代の作。像の表面全体にノミ痕が細かく刻まれており、眉や唇などに僅かに彩色が施されている。通称「鉈彫観音」。境内の収蔵庫に保管され、年1回公開している[12]。
所在地
アクセス
注釈
- ^ 境内説明板では、廬嶽本人を招聘したとある。
- ^ 一色政照が退隠した屋敷跡へ、政照没後に戸田宗光が建てた寺。昭和29年(1954年)に廃寺となる。[9]。
- ^ 戸田尊次の五男。旗本(御小姓組番士)。戸田忠次の孫にあたり、忠継とも記される。
- ^ 守隆は戸田忠能の岳父にあたり(忠能の正室・久昌院は、守隆の娘)、その関係で守隆とその室・天翁院の墓が所在するとみられる。なお守隆と天翁院の墓は、兵庫県三田市の心月院と三重県鳥羽市の常安寺にもある。
- ^ 忠能の弟(寛政重修諸家譜)。
出典
- ^ 境内説明板。
- ^ 長興寺誌 1985, p. 28-29.
- ^ a b 田原町史 中巻 1975, p. 601.
- ^ 長興寺誌 1985, p. 29.
- ^ 田原町史 中巻 1975, p. 584-585.
- ^ 田原町史 上巻 1971, p. 584-585.
- ^ 愛知県の地名 1981, p. 1086.
- ^ 田原町史 中巻 1975, p. 603.
- ^ “広報たはらNo.684(平成23年2月15日号)『しみんの広場・広報サポーターズだより 大草の歴史と文化を学ぶ会』 (PDF)”. 田原市. p. 02 (2015年9月4日). 2016年8月16日閲覧。
- ^ “木造観世音立像”. 文化財ナビ愛知(愛知県). 2016年5月5日閲覧。
- ^ “指定文化財一覧”. 田原市 (2016年4月1日). 2016年5月5日閲覧。
- ^ “鉈彫りの田原市・長興寺の聖観音像(達人に訊け! : 田中ひろみの仏像大好き!)”. 中日新聞プラス (2016年3月15日). 2016年5月5日閲覧。
参考文献
- 境内説明板
- 田原町文化財調査会編 編 『田原町史』 上巻、田原町教育委員会、1971年。
- 田原町文化財調査会編 編 『田原町史』 中巻、田原町教育委員会、1975年。
- 『愛知県の地名(日本歴史地名大系 ; 23)』平凡社、1981年。ISBN 4582490239。
- 仲金風著 『雲竜山長興寺誌』長興寺、1985年。
- 駒澤大学戦国史研究会「長興寺文書の紹介 : 中世史料を中心に」『駒澤史学』第49巻、駒沢史学会、1996年6月、 90-112頁、 ISSN 0450-6928、 NAID 110007003056、2020年6月11日閲覧。
- 九鬼隆訓 (2016年2月1日). “歴ネットさんだ通信 第45号『特別寄稿 このお墓はどこに?』 (PDF)”. NPO 法人・歴史文化財ネットワークさんだ. 2016年8月16日閲覧。
関連項目
- 全久院 (豊橋市) - 同じく戸田氏の菩提寺である。
外部リンク
- 長興寺_(田原市)のページへのリンク