長興寺 (かすみがうら市)とは? わかりやすく解説

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長興寺 (かすみがうら市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 01:55 UTC 版)

長興寺
所在地 茨城県かすみがうら市中志筑1353
位置 北緯36度11分25.3秒 東経140度13分53.1秒 / 北緯36.190361度 東経140.231417度 / 36.190361; 140.231417座標: 北緯36度11分25.3秒 東経140度13分53.1秒 / 北緯36.190361度 東経140.231417度 / 36.190361; 140.231417
山号 鳳林山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 慶長7年(1602年
開山 龍山
開基 本堂茂親
文化財 絹本著色涅槃像(茨城県指定有形文化財)、本堂家の墓所、長興寺山門と本堂、不動明王像及び二童子立像(以上、かすみがうら市指定文化財)
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長興寺(ちょうこうじ)は、茨城県かすみがうら市にある曹洞宗寺院

歴史

1602年慶長7年)、本堂茂親の開基である。茂親は出羽国仙北郡(現・秋田県仙北郡美郷町)の本堂城城主であったが、1601年(慶長6年)の佐竹氏秋田移封に伴い、本堂氏は当地に転封となった。当地の領主となった本堂氏の菩提寺として創建された[1]

本堂氏の石高は1万に満たなかった(8,500石)ため、江戸時代旗本交代寄合)であったが、王政復古後に1万110石であることが認められ、志筑藩を立藩した(維新立藩[1]

文化財

  • 絹本著色涅槃像(茨城県指定有形文化財 昭和41年3月7日指定)[2]
  • 本堂家の墓所(かすみがうら市指定文化財 昭和46年8月1日指定)[3]
  • 長興寺山門と本堂(かすみがうら市指定文化財 昭和46年8月1日指定)[4]
  • 不動明王像及び二童子立像(かすみがうら市指定文化財 昭和46年8月1日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、138-141p
  2. ^ 絹本著色涅槃像茨城県
  3. ^ 本堂家の墓所かすみがうら市
  4. ^ 長興寺山門と本堂かすみがうら市
  5. ^ 不動明王像及び二童子立像かすみがうら市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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