長興寺 (塩尻市)とは? わかりやすく解説

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長興寺 (塩尻市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/16 20:01 UTC 版)

長興寺
所在地 長野県塩尻市洗馬元町3392
位置 北緯36度6分14.4秒 東経137度54分34.4秒 / 北緯36.104000度 東経137.909556度 / 36.104000; 137.909556座標: 北緯36度6分14.4秒 東経137度54分34.4秒 / 北緯36.104000度 東経137.909556度 / 36.104000; 137.909556
山号 青松山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1527年大永7年)
正式名 青松山長興寺
札所等 信州筑摩三十三カ所観音霊場第33番、信州七福神
文化財 庭園(市指定名勝)
法人番号 9100005006874
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長興寺(ちょうこうじ)は、長野県塩尻市にある曹洞宗の寺院。山号は青松山。本尊釈迦如来信州七福神毘沙門天札所。

歴史

大永7年(1527年)に洗馬荘地頭三村忠親によって、信濃三村氏の菩提寺として創建された。永禄4年(1561年武田信玄制札を掲げ、寺中門前での乱暴狼藉を禁じた。また越前国の心月寺の末寺となり、總持寺の應總藝禅師が諸弟子を伴い、数多の経巻仏典を捧持して入った。元亀元年(1570年)に信玄が、天正3年(1575年)に武田勝頼がそれぞれ寺領を安堵した。

江戸時代には慶安2年(1649年)に徳川家光が寺領15石を寄進して以来、歴代徳川将軍家の朱印状を受け、学問寺として栄えたが、1908年(明治41年)に火災により本堂を除き全てを焼失した。大正時代に再興され、現在も寄進状など古文書が多く残る。

境内

交通アクセス

寺院周辺

参考文献

外部リンク




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