長柄桜山古墳群の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:57 UTC 版)
「長柄桜山古墳群」の記事における「長柄桜山古墳群の特徴」の解説
長柄桜山古墳群は約90メートルという墳長、そして壺形埴輪、円筒埴輪が備わり、さらに1号墳には段築があることが確認され、2号墳には葺石が存在するなど、神奈川県の他の前期古墳、例えば埴輪、段築、葺石がない秋葉山古墳群の古墳と比べると、古墳としての完成度が高い。これは長柄桜山古墳群の被葬者は、他の神奈川県内の前期古墳の被葬者よりもヤマト王権中枢との関係性が深かったからと見られる。 長柄桜山古墳群は、出土品などから4世紀に造られた前期の古墳であることは間違いないが、第1号墳と第2号墳のどちらが先に築造されたかは、墳形、出土品などから検討がなされているが、まだはっきりしていない。 長柄桜山古墳群のそばには大きな平野はないが、1号墳から東京湾、2号墳から相模湾の眺望が開けるという点や、ヤマトタケルの伝説にもあるように、古代、三浦半島から房総半島方面への海上交通路が開けていたと考えられることからも、三浦半島の長柄桜山古墳群は畿内方面から相模を通り、上総など房総方面へ向かう道筋を望む場所であり、そのような場所に古墳群が造営されたことに大きな意味があると見られている。また同じ神奈川県内の相模川河口近くの砂丘地帯という、生産の拠点としてはふさわしくないものの、交通の要衝に長柄桜山古墳群の少し前に造営されたと見られる平塚市の真土大塚山古墳との類似性が注目される。 畿内が起源とみられる円筒埴輪が用いられている点、1号墳は段築が確認され、2号墳には葺石があるなど、同じ神奈川県内の前期古墳と比べて、畿内の定型的な前方後円墳に近い型をしている古墳像から考えると、長柄桜山古墳群はヤマト王権の強い影響下、房総方面への交通の要衝を押さえる場所を選んで造営された古墳と考えられている。 しかし長柄桜山古墳群には大きな謎もある。墳長90メートルという大きさは、前期古墳としては関東地方の中でも有数の規模であるが、三浦半島周辺では、長柄桜山古墳群以前の古墳は知られておらず、長柄桜山古墳群の造営が終了した後も、約1世紀後の5世紀半ば以降にならないと古墳は造営されていない。つまり長柄桜山古墳群はある日突然造営が開始され、そして2基の古墳が造られた以降、後が全く続かなかったということになる。 長柄桜山古墳群は前期古墳としては関東地方の中でも有数の規模であり、また畿内の定型的な前方後円墳に近い要素が多いなど、前期の前方後円墳としては関東地方では数少ない特徴を備えた古墳であるという点から学術面で高い評価がなされ、更には1999年(平成11年)まで未発見であったこともあって、墳丘の保存状態が良いという点も評価され、2002年(平成14年)12月19日、国の史跡に指定された。
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