鈴木雅美
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「リバーシブル (雑誌)」の記事における「鈴木雅美」の解説
創刊者の鈴木雅美の経歴は以下のとおり。1948年(昭和23年)、岡崎市生まれ。愛知県立岡崎高等学校卒業後、多摩美術大学に進学。1971年(昭和46年)に大学を中退し明大寺町に喫茶店「ペーパードール」を開業した。そして前述のとおり1980年(昭和55年)3月に『リバーシブル』を創刊した。 1990年(平成2年)2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙にからみ、杉浦正健陣営が選挙違反を起こす。同年9月25日までに自民党市議17人が辞職。これに伴って11月4日に行われた補欠選挙に無所属で立候補し初当選した。1996年(平成8年)7月、岡崎市長選挙へ立候補するも落選。同年10月の市議選で3期目の当選。鈴木は初当選から保守系の多数会派に所属していたが、3選後、中根薫と新進党系の会派「新進市民共同クラブ」を結成した。 1999年(平成11年)6月25日、市議会6月定例会の打ち上げを兼ねた自民党市議団約20人の懇親会が西浦温泉の旅館で開かれた。次期議長人事や議長の公用車の使い方をめぐり、会場で永田寛市議と渡辺五郎議長が口論となった。永田は渡辺にいきなりビールをかけ、押し倒し、右足で2、3回蹴った。渡辺は尾てい骨を骨折した。渡辺の公用車濫用問題と永田の暴行事件はマスコミで取り上げられ、鈴木は真相究明を求める先頭に立ち、9月定例会の一般質問でも公用車問題を追及した。ところが会期中の9月29日、鈴木自身が前年6月に知人の女性2人に対し暴力をふるっていたことが明らかになった。美術家の女性を平手打ちすると、居合わせた旧額田町の主婦が美術家をかばい、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と鈴木を諭した。この言葉にかっとなり鈴木は主婦もさらに殴った。 この事件の影響を受け、2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市議選はどちらも落選。2004年12月をもって『リバーシブル』の経営から退いた。
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