野村私案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
11月18日、甲案交渉が不調のため、野村は根本問題を限られた時間で解決することは困難なこと、情勢は極めて緊迫していることを説き、独断で「日本は仏印南部より撤兵に対し、米国は凍結令を撤去す。…其の上にて更に話を進むることと致した度し」と申し入れた。これは東郷の訓令を待って提示することになっていた乙案を狭めた私案であり、来栖大使は「出先としては思ひ切った提案であるが、自分もかねてから同意見であるし、現地の空気及び野村大使の立場及び心境としては寧ろ当然といひ得ること」としている。ハルはなかなか承服しなかったが、日本が平和政策を明確にすることを条件に検討を約した。 11月18日夜、野村と来栖はウォーカー郵政長官を訪問。ウォーカーは大統領及び大多数の閣僚は日米諒解に賛成であること、日本が仏印撤兵など現実の行動で平和的意図を示せば、アメリカの石油供給もあることを述べたという。19日には某閣僚の旨を受けたウォルシュ司教が大使館を訪れ、日本が今日にも仏印撤兵の意図を表明すれば、ハルは即座に石油輸出を約束し、これをきっかけに急速に問題を解決したい意向との情報が伝えられた。またこの日、野村・来栖と会談したハルの対応も好意的だったという。 しかし、11月20日発の公電で東郷外相はアメリカがさらに煩雑なる条件を持ち出してくる余地があること、我が国の国内情勢では乙案程度の解決案を必要とすることを述べ、「貴大使ガ当方ト事前ノ打合セナク貴電報腹案ヲ提示セラレタルハ国内ノ機微ナル事情ニ顧ミ遺憾トスル所ニシテ却テ交渉ノ遷延乃至不成立ニ導クモノト云フ外ハナシ」として野村の私案提示を叱責するとともに、日本の最終案である乙案の提示を指示した。 現在の研究でも、野村の私案提示は「明らかに越権行為であった」、「日本の譲歩を最大限のものに見せようとした東郷の努力を結果的に水泡に帰すものであった」という指摘がある。
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