那覇市長選挙勝利と民連ブームとは? わかりやすく解説

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那覇市長選挙勝利と民連ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 08:59 UTC 版)

民主主義擁護連絡協議会」の記事における「那覇市長選挙勝利と民連ブーム」の解説

当初瀬長市長支えるための応急的な協議体として結成され民連は、不信任可決による瀬長市長失職によって空白となった後任市長選出する那覇市長選挙に先立つ12月12日総会開催して会則作成同時に基地反対祖国復帰実現及び土地を守る四原則貫徹などの運動方針決定した。そして議長瀬長亀次郎副議長浦崎、儀武息睦、事務局長大湾喜三郎それぞれ選出された。 1958年1月12日投票那覇市長選挙において民連社大党那覇支部長である兼次佐一統一候補擁立琉球民主党当間派が支援する社大党公認平良辰雄(前委員長)との一騎討ち選挙戦となったが、兼次平良僅差押さえて勝利した2月2日行われた市議会議員補充選挙真和志市が那覇市編入されたことに伴って実施)でも定員15名中7名の民連候補当選し圧勝した(残る議席民主党社大党が各2名、中立が4名)。 ※当日有権者数:100,277最終投票率:70.27%(前回比:+1.83pts) 候補者年齢所属党派新旧得票数得票率推薦支持兼次佐一 民連 新人 35,491票 % 平良辰雄 社大党 新人 34,507票 % 琉球民主党 出典過去の(那覇市長選記録 (PDF) .那覇市選挙管理委員会 那覇市長選挙で民連候補勝利したことで、民連米軍支配抵抗する政治勢力として県民支持集めるようになり、組織沖縄各地発足した。その動きは「民連ブーム」と名付けられるほどであった。こうして民連当初那覇地域のみの統一戦線から全県的な統一戦線組織発展した那覇市長選挙と市議補充選挙続いて3月16日行われた第4回立法院総選挙において、民連は全29選挙区19選挙区で候補を擁立し基地反対祖国復帰実現4原則貫徹大統領行政命令撤廃などを掲げて選挙戦戦った選挙の結果得票数では民主党社大党上回ったものの、議席数は当初予想ほど伸びず5議席に留まった。

※この「那覇市長選挙勝利と民連ブーム」の解説は、「民主主義擁護連絡協議会」の解説の一部です。
「那覇市長選挙勝利と民連ブーム」を含む「民主主義擁護連絡協議会」の記事については、「民主主義擁護連絡協議会」の概要を参照ください。

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