那覇手修行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 10:30 UTC 版)
東恩納は家計を助けるため10歳頃から家業を手伝っていたが、一説では1873年(明治6年)、20歳(17歳とも)の頃、那覇手の新垣世璋(1840年 - 1920年)に唐手を師事したとされる。新垣が久米士族以外は門外不出であるはずの那覇手を東恩納に伝授した理由は不明だが、新垣家が東恩納家の得意先であり、薪を売りに家に出入りする東恩納を見て、並々ならぬ素質を感じたからともいわれている。東恩納は新垣のもとで3年間ほど那覇手を師事した。 ただし、剛柔流や東恩流にはいわゆる新垣派の型は伝承されておらず、また宮城長順の「唐手道概説」(1936)にもこれについての記載がないので、真偽のほどは不明である。東恩納は少年の頃より沖縄手は修行していたが、中国拳法は門外不出ゆえ大家に断られて修行できなかったとする説もある(宮里栄一説)。 また、新垣に師事した後、新垣が通事(通訳)として中国へ渡航することになったため、湖城流の湖城大禎に一時期預けられ、そこでも修行したとの説もある。ただし、東恩納は湖城とサンチンを巡って激論を繰り広げたとも言われ(いわゆるサンチン裁判)、この説とは矛盾する逸話も伝えられている。
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