避難場所を巡って議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:58 UTC 版)
「石巻市立大川小学校」の記事における「避難場所を巡って議論」の解説
教職員の間では、裏山へ逃げるという意見と、校庭にとどまるという意見が対立した。当校自体が地域の避難所に指定されていたこともあり、すでに避難してきていた老人がいることから、裏山ではなく、約200 m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた国道398号新北上大橋のたもと(三角地帯)へ避難するという案も上がった。市教育委員会の報告書によれば、教頭は「山に上がらせてくれ」と言ったが、釜谷地区の区長は「ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう」と提案を認めず、口論となっていた。最高責任者である校長が午後から年休をとって不在であったことも、判断の遅れや混乱に繋がった。 校門前には45人乗りのスクールバスが1台待機していた。車内無線で交信した同僚運転手の証言によれば、犠牲となったこのバスの運転手は生徒を乗せて避難するべきと促されても「学校の指示が出ないから、勝手なことはできない」と話していた。 この議論の間、20家族ほどの保護者が児童を迎えに来て、名簿に名前を書き帰宅していった。大津波警報が出ていることを報告した親もいた。教師たちは「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」などと言い、逆に保護者達を引き留めた。実際に引き留めに応じた母親は、15時29分に「子どもと学校にいます」と夫に向けて電子メールを送り、その後津波により死亡した。また、山に逃げたものの連れ戻された児童らが、「津波が来るから山へ逃げよう」「地割れが起きる」「ここにいたら死ぬ」と教師に泣きながら訴えている光景が、このときの保護者達により目撃されている。 最終的に三角地帯に避難することになり、教職員と児童らは地震発生から40分以上たってから全員徒歩で移動を開始した。防災無線は「海岸線や河川には近づかないでください」と呼びかけており、このときすでに、町の側溝からは水が噴き出し、堤防からは水があふれ始めていた。
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