選考結果に疑問が投げかけられたケース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 20:32 UTC 版)
「ゴールデングラブ賞」の記事における「選考結果に疑問が投げかけられたケース」の解説
1972年 セ・リーグ 三塁手部門知名度・人気で圧倒的に勝る長嶋茂雄(巨人)が受賞したが、関係者の間ではメジャー・リーグでゴールドグラブ賞受賞経験(1969年)のあるクリート・ボイヤー(大洋)の守備力が評価されていた。 1973年は長嶋・ボイヤーの同時受賞、1974年はボイヤーの単独受賞であった。 1979年 セ・リーグ 捕手部門若菜嘉晴(阪神)が捕逸のセ・リーグ年間最多タイ記録(17個)を作ったにもかかわらず受賞したことに対する批判がある。 1981-1983年 セ・リーグ 外野手部門松本匡史(巨人)が3年連続受賞したが、松本は弱肩で有名であるとする批判がある。 1984年 セ・リーグ 遊撃手部門平田勝男(阪神)が初受賞(その後1987年まで4年連続受賞)したが、同年は水谷新太郎(ヤクルト)が遊撃手守備率の日本記録(.991、当時。現在は1997年に鳥越裕介が樹立した.997。ちなみに鳥越もゴールデングラブ賞未受賞)を樹立しており、疑問を呈せられた。 1987年 セ・リーグ 二塁手部門正田耕三(広島)が初受賞(その後1991年まで5年連続受賞)し、二塁手の守備率日本新記録(.9971)を樹立した高木豊(大洋)は選出されなかった。 この年は、同じ二塁手の正田と篠塚利夫(巨人)が同率(.333)で首位打者となり、優勝した巨人の篠塚がベストナインに選ばれた。一方で、首位打者を獲得したにもかかわらずベストナインに選出されなかったことへの同情票も集まり、正田が初めてゴールデングラブ賞を受賞した。賞に選ばれなかった高木豊は「今年は守備率の日本新記録を作ったのでゴールデングラブ賞は間違いなく自分だと確信していたが、こんな大記録にすら野球記者は気付いてもいない」という趣旨の発言をして投票したプロ野球記者を批判し、あからさまに不快感を表明した。この高木のコメントがスポーツ記事で報道され、ゴールデングラブ賞の選考基準を疑問視するスポーツ記事等も出たため、同賞の発表(同年11月16日)から2週間以上が経った12月になって、セ・リーグは高木を特別表彰することを決めた。この一連の出来事は、ゴールデングラブ賞受賞者発表の翌日から、高木が特別表彰を受けた後までしばらくの期間スポーツ記事で断続的に報道された。 高木が守備率日本記録を達成しながら選外となったという選考結果については、スポーツライターからの批判もある。 2005年 パ・リーグ 外野手部門負傷の影響から106試合の出場に留まったSHINJO(北海道日本ハムファイターズ)が外野手部門に選出され、「今年のオレのゴールデングラブ賞はおかしい。1年間この賞を心の中で目指して取り組んでいた選手に申し訳ない。来年からは、印象ではなく数字で選んで欲しい。そうでないとこの素晴らしい賞の価値がなくなってしまう」などとコメントした。
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