遠江国下向と子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:30 UTC 版)
康仁について、南朝方荘園の遠江国入野(静岡県浜松市)に下向して龍雲寺を興し、そこに落ち着いたという伝承があって、親王の屋敷跡・墓所・真影とされるものが同寺内に伝存している。康仁が京都付近で没したことは『園太暦』に見えているので、伝承は事実を伝えたものではない。ただし、木寺宮の縁者が遠江と所縁があった可能性はある。その時期は、中央の記録から消えた邦康以降ということになろう。ただし、これらを具体的に裏付けるような史料は存在しない。 『龍雲寺文書』によれば、永禄から天正のころ、当寺に「大宮様」が住んでいたが、武田方の軍役を務めていたため、1580年に徳川家康に攻められ、寺を焼いて信州に逃走している。「大宮様」とは赤津中務少輔のことで、木寺宮(康仁親王)8世との寺伝があるが、これも具体的な裏づけはない。なお『寛政譜』には、大沢基宿の母や知久則直の母を「木寺宮」出身と伝えている。 地方に下った宮家の例としては他に五辻宮が挙げられる。 表 話 編 歴 宮家一覧 皇室典範に基づく現存の宮家秋篠宮家 - 常陸宮家 - 三笠宮家 - 高円宮家 近代以降の直宮家高松宮家 - 秩父宮家 - 三笠宮家 - 常陸宮家 - 秋篠宮家 四親王家伏見宮家 - 閑院宮家 - 桂宮家(旧)(八条宮家 ・ 常磐井宮家 ・ 京極宮家) - 有栖川宮家 1947年皇籍離脱 伏見宮家 - 閑院宮家 - 久邇宮家 - 山階宮家 - 北白川宮家 - 梨本宮家 - 賀陽宮家 - 朝香宮家 - 竹田宮家 - 東久邇宮家 - 東伏見宮家 断絶した宮家時代は断絶時期を示す 鎌倉時代岩倉宮家 - 四辻宮家 - 早田宮家 - (六条宮家) 室町時代常盤井宮家 - 木寺宮家 - 花町宮家 - 土御門宮家 - 五辻宮家 - 小倉宮家 - 玉川宮家 - 護聖院宮家 江戸時代聖護院宮家 - 中川宮家 1947年以前梶井宮家 - 桂宮家(旧) - 小松宮家 - 有栖川宮家 - 華頂宮家 1947年以降秩父宮家 - 高松宮家 - 三笠宮家( - 寬仁親王家) - 桂宮家(新) Category:日本の皇族 - Category:宮家
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