寬仁親王家
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崇仁親王第一男子・寬仁親王は生前、将来的に「三笠宮」の宮号を継承すると考えられていた存在であったが、現行制度では宮号は宮家の当主に授けられるものとされているので、当主ではなかった寬仁親王を「三笠宮寬仁親王」と呼称することは、厳密に考えれば誤用であるといえる。なお、かつて宮家の後嗣は「○○若宮」と呼ばれていたが、宮家自体の数の減少や、宮家に男子が生まれることがほとんどなくなったため、現在は一般的な呼称ではない。 なお、寬仁親王は宮号は賜っていなかったものの、寬仁親王家として三笠宮本家から独立した生計を営んでおり、同家の当主となっていた。寬仁親王の薨去に伴い、同家の当主は不在となった。宮内庁は2013年6月10日、寬仁親王の薨去時にさかのぼって寬仁親王家が廃されたものとして扱い、同家の成員については職員や皇族費はそのままで三笠宮家に合流することを発表した。同年7月31日には、当主のいなくなった寬仁親王邸を「三笠宮東邸」に改めることになった。 秩父宮家や高松宮家(共に絶家となるまで)、また高円宮家では親王の薨去後に親王妃が当主となっており、それが事実上慣例化していた。しかし寬仁親王家では後継の当主が定まらず、信子妃も、また喪主を務めた彬子女王も当主にはならなかった。 名性別生年月日続柄概要寬仁(ともひと)親王 男性 1946年1月5日 崇仁親王第一男子 2012年薨去 寬仁親王妃信子(のぶこ) 女性 1955年4月9日 寬仁親王妃 2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流 彬子(あきこ)女王 女性 1981年12月20日 寬仁親王第一女子 2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流 瑶子(ようこ)女王 女性 1983年10月25日 寬仁親王第二女子 2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流
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