三笠宮東邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:53 UTC 版)
「みかさのみやとうてい」と読む。かつては寬仁親王の宮邸であり、寬仁親王邸という名称であった。御用地の南側に位置し三笠宮邸に隣接する。正門は南門。地上2階の鉄筋コンクリート建てであり、外回りを含めた総工費は3億8591万円。 当初は、寛仁親王邸として1982年(昭和57年)12月から使用されていた。2012年6月、寬仁親王の薨去に伴い当主不在のまま寬仁親王家の構成員が、居所はそのままに三笠宮本家に合流することになったため、2013年7月末に、現在の「三笠宮東邸」に改められた。 5人の侍女のための侍女棟が90m2。侍女棟を抜かして15室。当初計画より40m2広く建築された。
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