過酷な現地調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 07:58 UTC 版)
ダムと発電所の位置は日高山脈でも幌尻岳に近い最奥の地である。北海道電力が計画の前線基地としていた静内郡静内町(現日高郡新ひだか町)より約80キロメートル離れており、現在でも新冠町中心部から車で約2時間30分もかかる奥地であるが、当時はダムサイトに向かう道路がなく、まずは全長66キロメートルにおよぶ工事用道路の建設から始めなければならなかった。しかし新冠川上流部は両岸に断崖絶壁が迫る険阻な峡谷で、黒部峡谷における日電歩道のようなものすら存在しなかった。ダムを建設する際にはまずダム地点の測量や地形・地質調査を行うが、これら測量資材を運搬するための道路がなく、静内・新冠地域のポーターである「ダンコ」を利用、または社員自らがダンコとして資材や食糧、ドラム缶風呂など日用品を背負い、現地の長老を案内に立てながら険しい山岳地帯を踏破し、急流を徒歩で渡渉した。 こうした徒歩による過酷な調査に約1年間を費やし、工事用道路のルートが決定して道路工事が開始された。だが詳細な設計図はなく、国土地理院作成の5万分の1地図を頼りに手探りでの工事となり、ブルドーザー1台と作業員数名が削岩機を使って掘り進める作業となった。しかもダム地点に近づくに連れて断崖絶壁の度合いは増し、場所によっては高さ70メートルの垂直な絶壁が行く手を阻んだ。1959年(昭和34年)11月より厳寒期を含めた1年2か月間の突貫工事によって、トラック1台がようやく通れる工事用道路が完成した。この間2名の殉職者を出したが、全体の工程からすればまだ序盤であった。
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