過去の規定打席とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 過去の規定打席の意味・解説 

過去の規定打席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:45 UTC 版)

規定打席」の記事における「過去の規定打席」の解説

メジャーリーグでは原則として全試合3分の2上出場が規定条件であったが、1942年アーニー・ロンバルディがわずか309打数105試合出場)で首位打者になったことから、1950年から打数400規定条件になった日本プロ野球でも戦後一時期まで打数規定条件であったが、メジャーリーグ1954年テッド・ウィリアムズ首位打者となったボビー・アビラの.341を上回る.345を記録しているものの、136四球影響し386打数首位打者逃したことから、1957年シーズン前メジャーリーグ打席数採用することが決定され日本プロ野球もそれに倣ったNPB通算打率規定4000打数となっている。 採用当初は現在と同じくチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席としたが、端数が出ることを嫌ってか翌1958年は両リーグとも400規定打席とした。ところが、この年セ・リーグ児玉利一大洋)と大和田明広島)が共に401打席規定打席到達となったため(児玉打撃ベスト10の9位に入った)、翌1959年以降は再びチーム試合数に3.1をかけた値を到達すべき規定打席として現在に至っている(3.1数字由来諸説あり不明)。 2004年2008年夏季オリンピック野球競技プロ野球選手派遣したことに伴い五輪派遣選手規定打席算出基準となる試合数は所属球団の総試合数から派遣期間中試合数を減じたものとする特別措置設けられた。この措置適用規定打席到達認められ打者以下の通り2004年正規規定打席セントラル・リーグ427パシフィック・リーグ412宮本慎也ヤクルトスワローズ、390打席福留孝介中日ドラゴンズ404打席藤本敦士阪神タイガース419打席金子誠北海道日本ハムファイターズ372打席2008年正規規定打席は両リーグとも446選手名所属打席数措置適用後の規定打席森野将彦 中日 412 403 新井貴浩 阪神 410 387 矢野輝弘 阪神 404 403 G.G.佐藤 西武 432 396 ※これにより、森野G.G.佐藤は共に自身初の打率3割到達となった2009年からは、規定打席端数の処理方法一軍二軍ともに切捨てから四捨五入変更になった。たとえば一軍で5試合終了時点での規定打席数は、2008年まで15打席よかったが、2009年から16打席必要となる。

※この「過去の規定打席」の解説は、「規定打席」の解説の一部です。
「過去の規定打席」を含む「規定打席」の記事については、「規定打席」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「過去の規定打席」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「過去の規定打席」の関連用語

過去の規定打席のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



過去の規定打席のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの規定打席 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS