過去のレギュラーおよびピンチヒッター陣
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「桂塩鯛のサークルタウン」の記事における「過去のレギュラーおよびピンチヒッター陣」の解説
パーソナリティ桂米二 -桂塩鯛の体調不良、及び入院時などのピンチヒッターとして アシスタント村上祐子(当時KBS京都アナウンサー、現ラジオ編成制作局長)初代アシスタント。放送開始から1994年ごろ?まで担当。 植月百枝(当時KBS京都アナウンサー)-村上祐子産休時。1994年 蓮井真弓-柴田幸子産休時。2004年3月27日~ 小林万希子-柴田幸子産休時。2009年 リポーター(ラジオカーリポーターがメインで、他に突撃リポーター、自転車リポーター、ロスタイムリポーター、とりあえずリポーター)桂団朝 初代ラジオカーリポーター2000年3月25日まで。前番組「桂小米朝の土曜は音楽気分」からの流れで担当(団朝のリポートでなければスポンサーにならないという住宅の会社もあった)。 桂喜丸 伝説のリポーターで一方的にしゃべり、相手に「はい」しか言わせなかった。 桂出丸 1995年10月~1997年9月 喜丸と週代わり ビル・クラウリー(William Crowley 桂枝雀師匠の英語落語の関係で日本に来て、英語落語のお手伝いをしていたアメリカ人。徹子の部屋やNHKの英語講座にも出ていた。ハリウッドで役者をやる、と言ってアメリカに帰っていった)1997年10月4日~1998年6月末まで9か月間にわたってあちらこちらをリポートした。コーナーのタイトルは「ビルクラウリーのおやかまっさん」。 桂都んぼ(現・桂米紫)1998年7月~2000年3月25日 立命館大学の落研の女の子(「みことちゃん」ほか何人か)とリポートしていた 桂こごろう(現・桂南天) 2代目ラジオカーリポーター 2000年5月~2003年3月末まで 桂吉弥 2000年5月~2003年3月サイクルリポーター、2003年4月~2007年3月3代目ラジオカーリポーター 桂紅雀 「ロスタイムリポーター」2003年4月~? ロスタイムができなかったら出てこない、間に30秒などの隙間があったら出てくる。 ニュース蓮井真弓 伴真理子 内谷佐和子 遠藤奈美(KBS京都アナウンサー) 湯谷明子 塩見祐子 他
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