進徳幼稚園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 07:11 UTC 版)
山梨県における幼児教育の必要性を強く感じていた進藤津るは、私立幼稚園の設立に向けて積極的に動き、1898年(明治31年)4月に進徳幼稚園を開園した。進徳幼稚園は甲府市紅梅町(現在の丸の内1丁目16番ホテル談露館北隣辺)にあった若尾家所有の学問所跡を借り受け、保育室2、お付き部屋を造り、保母2名、代用保母1名で始まった。1904年(明治37年)甲府市桜町の官有地(現在の甲府市社会教育センターの場所)を借りて、園舎を新築し、保育室3、遊戯室、お付き部屋、園長住宅、他を造った。その当時の園児の服装は、男児が筒袖の着物、女児が袖の長い和服に白いエプロンであった。 1945年(昭和20年)7月7日の甲府空襲で園舎は焼けずに残ったが、食糧営団などに貸すこととなり、一時休園となった。1946年(昭和21年)5月に園長宅で保育を再開する。1947年(昭和22年)貸していた園舎を明け渡してもらい、修理して使い、給食も再開する。1954年(昭和29年)園舎を大改造して保育室3とする。地域からの要望もあり、1959年(昭和34年)甲府市貢川に進徳幼稚園貢川分園を開設する。1965年(昭和40年)手狭になった本園を甲府市湯村2−4−35に新園舎を建てて移転し、保育室9、遊戯室、保健室、会議室、プールなどが造られた。
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