連邦軍の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 13:40 UTC 版)
ダグラス・マッカーサー大将の全般指揮の下、第12歩兵連隊(メリーランド州フォート・ハワード駐屯)とジョージ・パットン少佐が指揮する第3騎兵連隊(ヴァージニア州フォート・メイヤー駐屯)によって、ボーナス・アーミーは追い散らされ、彼らの野営地は破壊された。ワシントンD.C.は連邦議会の直轄地のため、合衆国内で治安維持のための軍隊の展開を厳しく制限する民警団法(Posse Comitatus Act)の対象とはなっていなかった(アメリカ合衆国憲法第1条8節17項)。しかし、マッカーサーの司令部スタッフであったドワイト・アイゼンハワーは、この作戦に強い懸念を持っていた。軍部隊は、抜き身の銃剣をつけた小銃と、催涙弾を持ってボーナス・アーミーの野営地に進められた。フーヴァー大統領は、アナコスティア川の対岸にあるボーナス・アーミー最大の野営地まで部隊を進めることを望んでいなかった。しかし、マッカーサーは、ボーナス・アーミーが政府の転覆を狙った共産主義者の企みではないかと考え、彼の権限を超え、軍を進めさせた。ウイリアム・ハシュカとエリック・カールソンを含め数名が死亡、数百名が負傷したほか、退役軍人の妻1人が流産した。武装した連邦軍の現役兵士が、みすぼらしい先の大戦の復員軍人に対峙するというイメージは、復員軍人救済のお膳立てをすることとなり、最終的には退役軍人局(後の退役軍人省)が設置される結果となった。 ボーナス・アーミーが追い散らされるまでに発生した被害は以下の通り 2名の復員軍人が射殺された。 11週の新生児がガスに曝され重体となった。 幼児2名がガスにより窒息死した。 11歳の少年が催涙ガスで一部失明した。 野次馬1名が肩を撃たれ負傷した。 復員軍人1名が、騎兵隊のサーベルで耳を切断された。 復員軍人1名が臀部に銃剣を刺された。 少なくとも12名の警官が、退役軍人によって負傷させられた。 警官やマスコミ、救急車の運転手を含む1,000人以上のワシントンD.C.の居住者が催涙ガスを浴びることとなった。 連邦軍部隊がボーナス・アーミーのテントや小屋を焼き払ったとされるが、小屋を提供した政府に対する悪意から、何人かの復員軍人が連邦軍到着の前に自らの住居に火をつけたとする報告もある。 連邦軍の兵士たちが、かつての同僚たちに向かって行軍していったという報道も、財政的な懸念から退役軍人への年金給付にはっきりと反対したことも、フーバー大統領の再選の助けにはならなかった。1933年にフランクリン・ルーズベルトが大統領に選出されると、いくつかのボーナス・アーミーのような集団がワシントンD.C.に集まり、新大統領に自分たちの主張を表明した。
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