連載・刊行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:57 UTC 版)
秋田書店の『少年少女冐險王』に1952年3月号から1954年8月号まで福井による執筆作が連載されていたが、福井が過労によって34歳の若さで急逝したため、清水春雄が「どや一平」のペンネームで執筆したものが同誌1954年9月号・10月号に連載された後、有川旭一が正式に作品を引き継いで連載を続けた。単行本は秋田書店の「冒険漫画文庫」から10集が刊行されており、第4集の半ばまでが福井の執筆である。 日本では終戦後、柔剣道や時代劇を描く作品がGHQによって禁じられており、サンフランシスコ平和条約締結まではどの作家もこのジャンルの作品を執筆できなかった。『イガグリくん』はその解禁第一号と言える漫画で、この作品のヒットを皮切りとして他の漫画誌でも柔剣道や時代劇ジャンルの作品が相次いで始められた。 福井が執筆した最後の回は、試合中に主人公(イガグリ)が試合中ピンチに陥った場面で終わっており、そこから必殺技を編み出して勝つ形で続けられた。福井の時期には空手家との対決を除けばほぼ柔道の試合が描かれていたのに対し、有川に代わってからはプロレスなどの異種格闘技戦が増えたこと、また「怪人」が登場する「猟奇ミステリー」的な要素が加わったことを夏目房之介は指摘しており、これらが梶原一騎の作品に通じるとも述べている。 1994年にアース出版局から全1巻の復刻版が発行されたほか、2014年に漫画配信ウェブサイトJコミにて本作の配信が開始された。本作の著作権は既に消滅しているため、Jコミにおいて初めての著作権消滅作品となった。
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