透視図法の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 15:46 UTC 版)
「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「透視図法の発達」の解説
15世紀前半に、透視図法(線遠近法)を導入することによって、絵画に奥行きを持たせた写実的な空間を表現した作品が描かれるようになった。透視図法を理論化したのは建築家のブルネレスキとアベルティで、この技法を多くの画家たちが自身の作品にこぞって取り入れた。ブルネレスキはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の回廊と洗礼堂の入念な設計習作を数多く制作した人物で、透視図法が導入された最初期の絵画であるマサッチオの『聖三位一体』(1427年頃、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ))にも協力したといわれている。一方のアベルティは建築だけではなくあらゆる分野に業績を残し、ルネサンス初期の「万能人」とまで言われた人物である。その著書『絵画論 (Della pittura)』は透視図法を科学的に理論体系化した最初の著作で、絵画、彫刻などの美術作品の空間構成に多大な影響を与えた。 ヴァザーリの著作『画家・彫刻家・建築家列伝』によると、パオロ・ウッチェロは透視図法にのみ熱中した画家で、様々な実験的絵画を描いたとされている。透視図法を採用したウッチェロの作品でもっとも有名なものが『サン・ロマーノの戦い』三部作(1450年代 - 1460年代、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、ウフィツィ美術館(フィレンツェ)、ルーヴル美術館(パリ))であり、背景に透視図法を用いた遠景の丘陵が描かれている。 1450年代のピエロ・デッラ・フランチェスカが、『キリストの鞭打ち』(1455年 - 1460年頃、ドゥカーレ宮殿付属マルケ美術館(ウルビーノ))などの作品に、透視図法と光の描写に優れた技量を見せている。また、作者未詳だがおそらくはデッラ・フランチェスカの作品ではないかと考えられている都市景観画にも、ブルネレスキの透視図法の影響が見られる作品が現存している。このころからペルジーノの作品『聖ペテロへの天国の鍵の授与』(1480年 - 1482年頃、システィーナ礼拝堂(バチカン))に見られるように、透視図法は基本技術として浸透し、当たり前のように作品に採用される絵画技法となっていった。
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