逃亡と抵抗運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:14 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮人徴用」の記事における「逃亡と抵抗運動」の解説
特別高等警察の記録 でも「移入朝鮮人労働者」による多くの逃亡があったとされている。日本内地に動員された朝鮮人労務者の逃走者総数は22万6497人である。内訳は、募集時7万8181人、官斡旋及び徴用時14万8316人。これら逃走者で発見送還された者4121人、職場復帰した者1万2626人、所在不明者は20万9750人に上った。 1944年の福岡県飯塚市住友鉱業所における労務斡旋と逃亡の事例は次のようなものだった。 福岡県飯塚市住友鉱業所に於ては、五月二十四日朝鮮総督府より朝鮮労務者72名の斡旋を受け、同所労務補導員にて引率鉱山到着までの間に於て内54名は逃走所在不明となり、又、同県糟屋郡志免町所在九州鉱業所の於いても五月二七日朝鮮総督府より朝鮮人労務者37名の斡旋を受け労務補導員2名にて引率鉱山到着までの間に於て、内36名逃走所在不明となりたる事案発生せり。 山口公一は、1940年代の九州筑豊炭田地帯では全労働者の30〜50%が朝鮮人労働者であったが、40%以上が逃亡したと言う。 君島和彦は「こうした戦時強制連行については、抵抗運動があった」と書き、遠藤公司の『戦時下の朝鮮人労働者連行政策の展開と労資関係』 や山田昭次の『朝鮮人強制連行研究をめぐる若干の問題』 を参考文献に挙げている。
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