逃亡と最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 17:29 UTC 版)
「ヘンリー・エイヴリー」の記事における「逃亡と最期」の解説
財宝の分配が終了した一味はポルトガル領のサントメ・プリンシペを経由してカリブ海のバハマに位置するエリューセラ島に向かった。この地の総督を務めるニコラス・トロット(英語版)には、ファンシー号はただの奴隷貿易船であると嘯き入港を求めた。トロット自身もその説明を真に受けたとは思えないが、エイヴリーから入港許可を求められる際に同時に賄賂を渡されていたのでそれ以上の追及はなされなかった。入港したバハマで海賊団は解散、一味は各々世界各地に散らばった。彼らの行方については様々で、逮捕されて裁判に掛けられ絞首刑にされた者もいれば、海賊に戻った者、さらには治安判事になった者までいる。 エイヴリーのその後についてはヘンリー・ブリッジマンの偽名を名乗ってアイルランドのダンファナイー(英語版)に逃走したところまでは分かっている。しかし、イギリス政府、東インド会社からそれぞれ500ポンドの賞金を懸けられていた賞金首だったにも関わらずその後の運命に関しては不明である。
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