逃亡〜裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 14:12 UTC 版)
「サブアーウィー・イブラーヒーム・ハサン」の記事における「逃亡〜裁判」の解説
2003年4月にサッダーム・フセイン政権が崩壊した後は行方を眩まし、隣国シリアへの逃亡に成功した。しかし、2005年2月27日、同国北東部ハサカ県で、シリア治安当局によって他のバアス党幹部2人と共に拘束され、イラク当局に引き渡された。イラクの情報将校によれば、サブアーウィーは、シリアからヨルダンかレバノンに出国しようとして失敗し、引き返してきたところをシリア治安部隊に拘束されたとしている。 逮捕直後に発表された写真では、サブアーウィーは白髭を伸ばして変装していた。 その後、イラク特別法廷(現・イラク高等法廷)により「人道に対する罪」、「ジェノサイド罪」、「市民殺害」の容疑で訴追された。 2008年、1991年に起きた南部シーア派住民虐殺の容疑で起訴され、イラク高等法廷に被告として出廷。容疑については無罪を主張し、シーア派住民の蜂起は隣国イランが組織化したものだと述べた。 12月2日、イラク高等法廷はサブアーウィーに対して終身刑の判決を下した。 2009年3月11日、1992年にバグダードの食料販売商らが政府の価格統制を破ったとして彼らを処刑した事件で、イラク高等法廷はサブアーウィーに「計画殺人」と「人道に対する罪」で有罪とし、死刑の判決を言い渡した。裁判長が判決文を朗読中、サブアーウィーは立ち上がり『神は偉大なり、イラク万歳、占領者に死を。』『私はイラクの殉教者の一人、サッダーム・フセインの下に加わることを誇りに思う。』と叫んだ。 弟のワトバーンも同じ裁判で死刑判決を受けている。 2013年7月8日、体調悪化により移送されていたバグダード市内の病院でガンのために死去した事が、イラク司法省より発表された。
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