退学者のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:17 UTC 版)
「尋常中学校ストライキ事件」の記事における「退学者のその後」の解説
ストライキの結果、退学処分となった生徒たちは様々な進路をたどった。 伊波普猷は、中学校を退学させられた後、1897年(明治29年)8月に上京し三度の浪人を経験した後に第三高等学校の第一部文科に合格する。同校卒業後に東京帝国大学に入学した普猷は、中学時代の恩師である田島利三郎と再会、居をともにした。この出会いがきっかけで、普猷は沖縄学の体系化を目指すようになる。 漢那憲和は、幼時より海軍を志しており、退学後に当時の沖縄県知事であった奈良原繁らの援助を得て、海軍兵学校に入学した。海軍少将まで昇進し、予備役編入後は衆議院議員となった。 照屋宏は、退学後に伊波と上京し、第一高等学校に一度の受験で合格した。京都帝国大学工学部卒業後、鉄道技師として台湾のインフラ整備に尽力し、戦前に那覇市長を務めた。 金城紀光は、復学を許されて卒業した後は、第五高等学校を経て、東京帝国大学医科大学(医学部)を卒業し、医師となった。また、戦前に那覇市長を一期務めた。 真境名安興は、復学を許されて卒業した後は、沖縄県でジャーナリストとして活躍した。伊波との共同作業が多く、伊波の後任として県立沖縄図書館館長となった。 屋比久孟昌は自殺して生涯を終えた。
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