追悼に向けた動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 04:44 UTC 版)
ロマのホロコースト犠牲者を追悼する記念碑は、1956年5月8日、虐殺事件が発生したポーランドのスチュロヴァ村に初めて建立。1996年以降、アウシュヴィッツなど同国各地に記念碑を建て、ロマのみならずポライモスの記憶を切に願う人々が訪れている。 また、チェコのロマ文化博物館やタルナウの民族博物館など、ポライモスの記憶を恒久的に展示する博物館が複数存在。しかし、同国のレティ強制収容所を巡る議論が示すように、嘗ての強制収容所近辺に記念碑を建立する事に関しては、一部政治団体による妨害行為が未だ後を絶たない。 2007年10月23日、トラヤン・バセスクルーマニア大統領が、同国の指導者としては初めて、ポライモスを公式に謝罪。学校でも教えるべきとした上で、「我々は子ども達に、60年前に彼らのような子ども達が、ルーマニアによって餓死や凍死に追い遣られたという事を伝えねばならない」と述べた。謝罪の一部はロマ語で成されている。 なお、バセスクは公式謝罪を行う前の同年5月19日、女性ジャーナリストに対して「腐れジプシー」と暴言を吐く事件を引き起こしており、問題になった(その後謝罪)。 2011年1月27日、ツォニ・ワイスがロマとしては初めて、ドイツの公的なホロコースト記念日の式典に、来賓として参加。オランダ生まれのワイスはナチスによる一斉検挙の際、警察官に逃亡を許され、一命を取り留めている。 2012年10月にはベルリン中心部のドイツ連邦議会南側に追悼碑が完成。同月24日アンゲラ・メルケル首相やヨアヒム・ガウク大統領の他、生存者が参列し式典が開かれた。
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