迷走 - 崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 06:14 UTC 版)
WCWはビショフに変わる存在として、WWFのシナリオライターだったビンス・ルッソーを引き抜き起用するものの、貧弱、あるいはWWFで一度使ったような台本しか書けず状況は好転しなかった。またルッソーがWCWの全てのブッキングやストーリーに関する権利を自分に集めようとして周囲の反発を招き、内部は一層混乱。そのためケビン・ナッシュら一部選手の横暴にスタッフが対応しきれなくなり、ついにはスコット・ホールのアルコール依存及び度重なる暴力事件への対応を誤らせる結果となった。 WWFはビンス・マクマホンを中心とした強力な現場主義と統制を徹底しており、選手の勝手を許さない一方で、多くのチャンスを与える文化と十分なバックアップ体制があり、番組の新陳代謝が活発であった。クリス・ジェリコによれば彼がWCWに在籍している間、「ATM」と揶揄するほど金払いは良かったものの、試合会場に着いても何もセッティングされていないことがしばしばあり、試合の勝敗などはベテラン選手が取り仕切って若手の自分にはほとんどチャンスが与えられていなかったという。 2000年4月10日、エリック・ビショフが復帰、ルッソーと共同でストーリーラインを決定していくことになり、ここからWCWは混迷の極みを見せる。4月25日、WCWが製作した映画『レディ・トゥ・ランブル』(Ready to Ramble、邦題『ヘッド・ロック GO!GO! アメリカン・プロレス』)の主演俳優、デヴィッド・アークエットにWCWヘビー級王座を獲得させる。6月にはルッソーが選手としてフレアーと戦い勝利、さらには当時12歳だったフレアーの息子やバフ・バグウェルの母親に試合を行わせた。その後もゴールドバーグをヒールに転向させたり、ついにはルッソー自らがWCWヘビー級王座を獲得する展開を見せた。この頃には既にWCWの損失額は8000万ドルに上っていたという。 AOLとの合併が迫っていたタイム・ワーナーは赤字部門の切捨てを計画し、2001年1月にはフュージェント・メディア・ベンチャー社による買収、それに伴うエリック・ビショフを中心とするWCWの再編が計画された。しかし、TBSがプロレス放送からの撤退を決定したために交渉が難航して3月23日、ビンス・マクマホンによって買収されて、3月26日のナイトロをもってその活動を終了。
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