近畿地方南部の茶粥とは? わかりやすく解説

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近畿地方南部の茶粥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 22:48 UTC 版)

茶粥」の記事における「近畿地方南部の茶粥」の解説

奈良県・和歌山県三重県伊賀では昔から「おかいさん」の愛称親しまれ常食となっていた。 『古事類苑』の飲食部六の項には「大和の国農家にても一日四、五度の茶粥食する聖武天皇御代南都大仏建立の時、民家各かゆを食して米を食い延ばし御造営お手伝いをした。以降奈良では茶粥常食するようになった」とある。また「お水取り」として知られる東大寺二月堂修二会752年から今日まで途絶えることなく続けられてきた行事であるが、期間中練行僧の食事献立記したものに「あげ」「ごぼ」などの記録が残る。特別な呼び名付けられているが「あげ」とは茶粥煮て汁を取り去ったもの、「ごぼ」は茶粥の汁の多いものである。これらの記録からも大和では1200年上前から茶粥食べられていたと考えられる奈良県一般家庭では木綿茶袋焙じた粉茶入れて炊き出し冷やご飯入れて炊くことが多かった大和では昔はご飯を晩炊きにする家が多く朝の冷やご飯利用したもので、これを「入れお粥」といい、米から炊く茶粥を「揚げ茶粥」という。「おかいさん」はいろいろな食べ方ができる。おかきや餅を入れたり、季節によってはさつま芋小豆そらまめ入れたり、また夏は冷やして食べるのもおいしい。 昔から「大和茶粥、京の白粥河内のどろ喰いと言われお粥固さ食べ方も土地柄があるが、大和茶粥粘り無くさらっとしている。奈良県では塩分多くサラサラして熱い茶粥常食にするから胃潰瘍になり、潰瘍から癌になるので胃癌死亡率が高いという説から、1954年昭和29年)に「茶粥廃止」が呼びかけられたことがあり、また嗜好変化もあり常食少なくなっている。

※この「近畿地方南部の茶粥」の解説は、「茶粥」の解説の一部です。
「近畿地方南部の茶粥」を含む「茶粥」の記事については、「茶粥」の概要を参照ください。

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