近代以降の金沢文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 07:08 UTC 版)
明治30年(1897年)に伊藤博文らの尽力によって、塔頭大宝院の境内(仁王門の東南方向)に金沢文庫書見所と石蔵が建てられた。しかし伊藤が暗殺されたこともあって十分な運営はできず、1923年(大正12年)に発生した関東大震災によって損壊した。 御大典記念事業の一環で鉄筋コンクリート造2階、和風デザインの施設が称名寺阿字池の西側に建てられることになり、昭和4年(1929年)12月に竣工(設計:神奈川県営繕課)。昭和5年(1930年)8月9日に図書館令に基づき、神奈川県の運営する最初の県立図書館である「神奈川県立金沢文庫」として復興した。昭和8年(1933年)に図書館令が改正され、公立図書館のうち1館を中央図書館に指定することになると、唯一の神奈川県立の図書館であった金沢文庫が中央図書館の役割を果たすことになった。昭和29年(1954年)に神奈川県立図書館が設けられると、金沢文庫は図書館から博物館に変わることになり、昭和30年(1955年)に登録博物館となった。 昭和の金沢文庫が老朽化し、史跡である境内整備のため社会教育会館(旧昭和塾)跡地に移転することになり、平成2年(1990年)現在の施設が竣工した。 現在の県立金沢文庫は、称名寺が所有する国宝や重要文化財を含む鎌倉時代のものを中心とした所蔵品を保管し、展示公開する歴史博物館である。
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