近代以降の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 22:34 UTC 版)
明治以降も和歌山の繁栄は続いた。和歌山市は1889年(明治22年)4月1日、関西では神戸、姫路、堺と同時に市制施行した。同時に誕生した全国39市中、和歌山市は人口48,131人で13番目の多さを誇った。この繁栄を背景に、ぶらくり丁は和歌山県を代表し大阪市以南でも最大の繁華街として繁栄した。1891年(明治24年)に開業した松尾呉服店が1932年(昭和7年)10月に丸正百貨店として百貨店化して商店街の中核となり、昭和初期には大阪ミナミと肩を並べるほどの繁華街・歓楽街となった。 買い物客の前には人の頭しか見えないほどでまっすぐ歩けないとまで言われたほどにぎわう繁華街であり、全盛期には「シネマプラザ築映」や「和歌山東映シネマ」「和歌山帝国座」など映画館が5館以上あって和歌山県内各地や大阪泉南地域などからの客を集めており、1970年(昭和45年)にはジャスコ和歌山店、1971年(昭和46年)には大丸和歌山店も進出するなど、1970年代ごろまでは繁栄していた。
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