農村部の再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 18:58 UTC 版)
体系化政策は、農村部に再移住を促す事業として始まり、当初の目標は、ルーマニアの田舎に現代的な利点を持ち込むことであった。長年にわたり、ルーマニアの農村部では都市部への人口流出が続いていた(チャウシェスクもまたその一人である)。体系化政策では、1990年までにルーマニアの都市の数を2倍にすることが目指され、数百の村が学校、医療施設、住宅、産業への投資を通して、都市化された産業中心地へと変わっていった。 計画の一環として、人口1,000人を下回る比較的小さな村々は、「不合理的」とみなされ、サービスを減らされたり、住民の強制移住や物理的な破壊が行われたりした。こうした事例の多くでは、古い建物が壊され、近代的な高層住宅団地に置き換えられた後、都市化された町に吸収された。 体系化政策は全国に拡大されたが、はじめのうちはモルダヴィアを中心に実施された。また、オルト県にあるチャウシェスクの出身地、スコルニチェシュティにも影響が及び、事業後に村に残った古い建物は、チャウシェスク家の住宅のみであったといわれる。初期段階の体系化政策は、1980年までには大部分が行われなくなり、この時点で農村部に建設された新住居は、10%ほどであった。 予算の不足もあり、体系化が行われた多くの地域では、開発は良い影響を与えなかった。逆に、自然な農村部の発展には弊害をもたらした。新しい建物を建てる場合は、最低でも2階建てでなければならず、農家は小さな家を建てることができなかった。また、敷地は250㎡までに制限され、村のなかに私有の農場をつくることは禁止された。このような政策は自給自足の農業を収縮させるものであったが、1981年以降、村は農業的に自立することを求められた。 1980年代、ドナウ・ブカレスト運河などの大規模事業に伴って、ブカレスト近郊では多くの村が破壊された。これらの事業は、共産党政権の崩壊後に放棄されている。
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