住民の強制移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:29 UTC 版)
三峡ダムの貯水池は全長660㎞にも及ぶため、ダム湖に水没する地域は広大なものであり、多数の村落や都市が水没することとなった。三峡地域は険しい山岳が長江の両岸に迫っている地域であるが、湖北省では宜昌市の秭帰県、興山県、恩施トゥチャ族ミャオ族自治州の巴東県、重慶市では巫山県、奉節県、開県、豊都県などで中心市街地が水没した。また人口数十万を数える中規模都市だった四川省万県市(現・重慶市万州区)や涪陵区などでは市街地の大部分が水没している。これらの水没した地区のうち、都市区域においては、隣接した斜面や山の上に新市街が建設され多くの住民が移住した。 着工時は、移住対象の住民は84万人であったが、もともと人口増加や二次移転を含めた総移転人口は120万人程度と見込まれており、2010年9月の時点で127万人が強制移住を余儀なくされ、さらに30万人ほどが退去予定となっていた。こうした移住は、基本的には同一地域内での移住が原則であり、上記の都市のほか、農民も山間地を切り開いて作った新たな農地へと移住することとなっていた。しかし、三峡地域はもともと地形の険しい地域であるため農業適地は開墾しつくされており、農民は急斜面の農業開発を余儀なくされた。また、このために土砂流出が激増し、がけ崩れなども多発するようになった。このため、同一地域内ではなく遠く離れた地域への移住が推進されるようになった。 これら「三峡移民」の多くは充分な補償も受けられないまま貧困層へと転落しており社会問題となっている。 2002年には移住先からの帰郷を求めた元住民が逮捕される事件も発生している。
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