転用と保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:34 UTC 版)
「山陽電気鉄道300形電車」の記事における「転用と保存」の解説
1985年夏に3050系アルミ車に置き換えられて運用を離脱した、本形式最終製作グループに属する320 - 332 - 333 - 321の4連は、333・321はそのまま解体されたものの、320については老朽化していた事業用車の1形1を置き換えるべく、側面中央扉を同型車から流用した客用扉を活用して大型両開き扉化し、内部にクレーンやウィンチを搭載して10形10救援車に形式変更され、332についても高砂市内の保育園に払い下げられて保存(現存)されることとなった。 もっとも、10については走行機器の老朽化が深刻となり、またその補修部品の調達が困難になってきたことから、1990年に3550形3550(旧2500形2503)を改造した1500形1500への置き換えが実施されて廃車となった。その後はそのまま車庫に放置されていたが、直通特急の増加に伴う6連化で1998年に5000・5030系が増備され、東二見車庫が手狭になった際に他の残存旧型車と共に解体処分されている。 ただし、そのBW-1台車は保存の手配が取られ、同時期に解体された300・330の同型台車等と合わせて、ニューヨーク交通博物館、リオ・ビスタ鉄道博物館、阪神電気鉄道の3団体に寄贈されたが、いずれの台車がどの団体に寄贈されたかは定かではない。 かくして、山陽で重用された270形が1両も保存されなかったのに対し、新造車建造予算の不足に対する苦肉の策として製造され、ラッシュ時主体に運用されたに過ぎない本形式が台車のみ、あるいは中間車のみという変則的な形ながら保存の機会を得る、という皮肉な結果となった。これは本形式がボールドウィン製台車+GE製主電動機の忠実なコピー品を装着し続け、しかも15m級の小型車であったためであるが、博物館が保存の価値を認めるほどの古典的ハードウェアが1980年代半ばまで現役として本線上で運用され、1990年代末まで車庫で温存されていたという事実は注目に値しよう。 なお、BW-1については本形式廃車後、複数が東二見工場内で使用する仮台車に改造の上で流用され、現存している。 332号車については現在も同所にあるが、保育所が閉鎖の後、民家になっている。民家の新築に合わせ、再塗装(原色と異なる)と内装の大幅な変更が行われた。
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