軍事面の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 22:41 UTC 版)
「ファーティマ朝のエジプト征服」の記事における「軍事面の準備」の解説
ムイッズは以前のカリフたちの下で性急に進められた遠征とは異なり、エジプトへの困難な試みに対して注意深く準備を進め、莫大な資源と時間を注ぎ込んだ。15世紀のエジプトの歴史家のマクリーズィーによれば、カリフはこの目的のために24,000,000ディナールの金貨を費やした。ヤーコフ・レフはこの数字を「額面通りに受け取るべきではないだろう」と指摘しているが、それでもこの事業への「ファーティマ朝が利用できた資源についての考察を与えている」と述べている。ムイッズがこのような莫大な額を積み立てることができたという事実は、ファーティマ朝統治下の各地域がサハラ以南との交易に課せられた税金によって豊かな財政状態にあったことを示している。ファーティマ朝の年間歳入の半分に相当するおよそ400,000ディナールが951年から952年にかけてのシジルマーサの国境貿易から単独でもたらされ、サハラ以南のアフリカから大量の高品質の金が輸入されていた。これらの資金は目前に迫った遠征のために課された968年の特別税によってさらに増強された。 マグリブで勝利を収めたばかりのジャウハルは、966年にクターマ族の本拠地である小カビリア(英語版)へ派遣され、そこで兵士を募り、資金を調達した。968年12月にジャウハルは新しいベルベル人の部隊と500,000ディナールを携えてファーティマ朝の首都に帰還した。バルカの総督はエジプトへの道を通過するにあたっての準備を進めるように命じられ、新しい井戸がその道に沿って一定の間隔で掘られた。この細心の注意を払った準備もファーティマ朝政権の軍事力と安定性の向上を反映している。ヤーコフ・レフが指摘するように、「最初にエジプトに向けて派遣された軍隊は規律が欠如しており、エジプトの住民に恐怖を与えていた」。一方、ムイッズによって作り上げられた軍隊は「非常に大規模で、高い俸給を与えられ、規律が保たれていた」。この冒険的な事業は遠征の総指揮権を与えられたジャウハルの手に委ねられた。カリフは行軍のルートに沿った町の統治者はジャウハルの面前で降りてその手に口づけをしなければならないと命じた。
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