軍事関連輸送の強化
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国家の総力を挙げて戦争を遂行するため、膨大な原材料が軍需工場に運ばれ、武器や食料などが基地や戦地へ送られた。この大量の貨物を運搬するため、国鉄では様々な対策がおこなわれた。 弾丸列車計画に基づいて工事を始めた日本坂トンネル・新東山トンネルは、計画中断後も工事が継続され、東海道本線の輸送力強化のために使用された。さらに関ヶ原近辺の下り線も1943年に勾配改善工事が完了し、20 - 25パーミルの上り坂が10パーミルとなった。本州と九州を線路で結ぶ関門トンネルは1936年に着工され、陸軍の強い後押しにより戦争中も工事が続けられて1942年に1線、1944年に複線化が完了した。 名古屋地区では先述した名古屋鉄道に鉄道事業者が集約されていったが、路線は名古屋市内の新名古屋と神宮前間で分断されていた。名古屋地区は零戦などを製造していた三菱などの軍需工場が集中しており、工員輸送の便を図るために戦争中の1944年に上記区間を開通させた。 国鉄の旅客列車はスピードダウンが目立つようになった。1943年2月頃より、軍事貨物列車を優先させるため、長距離の特急や急行列車は順次削減すると同時に、貨物列車のスピードに合わせて速度を低下させるダイヤ改正が行われた。1944年には特急列車が全廃され、1等車・寝台車・食堂車も廃止された。輸送量の増大に対して、1943年にはD51形を上回る強力な貨物用機関車D52形が完成し、D51形と共に大量生産された。1944年からは、大都市圏の軍需工場通勤用として片側4扉の63形電車が生産された。戦争末期に作られたこれらの車輌は「戦時設計車」と呼ばれ、部品の簡略化、安全設備の不備、生産工程の簡易化など、いわば“粗製濫造”相当の代物であった。
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