路・州・県との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)
「投下 (モンゴル帝国)」の記事における「路・州・県との関係」の解説
詳細は「郡県制」を参照 『元史』地理志にはクビライが自らの基盤を固めた1260年代に新たな路・州・県が多数設置されたと記録されており、 これだけを見るとクビライ政権の下で伝統中国的な州県制が大元ウルスでも施行されたかのように見える。しかし、実際には元代の路・州・県とは先に成立した投下の領域に後付けで中国風の名称を与えたものに過ぎず、伝統中国的な州県制度とは異なる要素を多く有していた。例えば、元代には他の時代には全く見られない「飛び地」の路や州が華北地方で多く見られる。これは、まず「人口」が諸王・功臣に分配された後、諸王支配下の民の住まう地(=投下領)を「路・州・県」と名付けたために起こったものである。 大元ウルス治下の路・州・県に属する官吏については、前述したダルガが全ての行政区画に設置された点に大きな特色がある。元代の地方官吏の官名・品級を一覧化すると以下のようになる。 行政区画官名品級路(諸路総管府) ダルガ(達魯花赤)1員 上路:正三品/下路:従三品 総管1員 同知1員 上路:従四品/下路:正五品 治中1員 上路:正五品 判官1員 上路:正六品 府(散府) ダルガ(達魯花赤)1員 正四品 知府(府尹)1員 同知1員(以下略) 従五品 州 ダルガ(達魯花赤)1員 上州:従四品/中州:正五品/下路:従五品 知州(州尹)1員 同知1員(以下略) 上州:正六品/中州:従六品/下路:正七品 県 ダルガ(達魯花赤)1員 上県:従六品/中県:正七品/下県:従七品 知県1員 丞1員(以下略) 上州:正八品 一見して明らかなように、大元ウルス治下では全ての行政区画のトップ(総管・知府・知州・知県)と同格のダルガがそれぞれ置かれていた。とりわけ、最大の行政単位である路のダルガは「都ダルガ」と呼ばれ、下位行政区画の州・県のダルガを統べ、路内の重要案件にはダルガの代表として投下領主の裁可を仰いだ。このような「都ダルガ」と「路総管」の2長官が統べる地方官庁のあり方を漢文史料上では「○○路達魯花赤総管府」と呼称しており、これを「路総管府」と略すのはダルガの存在を軽視する誤解を招く表現であると批判されている。 先述したようにダルガは投下領主の任命権が認められていたが、総管以下の官吏は基本的に朝廷の任命によって行われ、原則として諸王はこれに介入できないとされていた。一方、カサル家の投下領で総管を務めていたのは代々カサル家に仕え、山東地方で軍閥を築いた李恒の一族の者であった。そのため、建前上は朝廷から任命される官吏であっても、実際には現地を取り仕切る軍事力・縁故を有する人物が選出されるものであったと指摘されている。 もう1点、元代の地方行政制度で特筆すべきは、元代になって始めて設置された「録事司」という官庁の存在である。録事司は路城(路の中心都市)にのみ設置されるもので、路城内の警察権・租税徴収権・裁判権など「戸民の事(民政)」を掌る官職であった。このような録事司の存在は、都市ごとに派遣され城内の内政に携わったダルガの職務の一部が、路・州・県制度の確立にあわせ変化し残ったものであると考えられている。
※この「路・州・県との関係」の解説は、「投下 (モンゴル帝国)」の解説の一部です。
「路・州・県との関係」を含む「投下 (モンゴル帝国)」の記事については、「投下 (モンゴル帝国)」の概要を参照ください。
- 路州県との関係のページへのリンク