趙爾巽の功績
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盛京将軍に就任した時期は、義和団の乱とそれに引き続くロシアの東三省占領、さらに日露戦争に伴い行政組織や地域そのものが非常に混乱した中にあった。しかし趙は馬賊の帰順を促すなど治安の維持に力を注ぎ、さらに東三省へなだれこんでくる漢族流民への農地を確保し、財政を安定させる(領域内の収支を黒字にもちこんだといわれる)ことに成功した。また、辛亥革命時の動乱期には、帰順した元馬賊の張作霖を活用して革命派を弾圧し、東三省の治安維持に成功するなど実務家としても非常に優秀であった。趙爾巽に抜擢された張作霖は、生涯にわたって趙爾巽を師として敬い、自分の三女の張懐瞳を趙爾巽の子の趙天賜(字は世輝)に嫁がせている。 晩年は『清史稿』編纂に携わるなど学者としての側面も見せるが、動乱の時局が充分な校正時間を許さず、完成した『清史稿』には年号・人名等の誤りが多いと言われている。また、『清史稿』そのものも趙爾巽死後に発生した清史館の内紛によって流転の運命を辿る事になった。 清先代: 兪廉三 湖南巡撫 1903年 - 1904年 次代: 陸元鼎 先代: 鹿伝霖 戸部漢尚書 1904年 - 1905年 次代: 張百熙 先代: 増祺(ヅェンキ) 盛京将軍 1905年 - 1907年 次代: - 先代: 趙爾豊 四川総督 1907年 次代: 陳夔龍 先代: 張之洞 湖広総督 1907年 - 1908年 次代: 陳夔龍 先代: 陳夔龍 四川総督 1908年 - 1911年 次代: 趙爾豊 先代: 錫良(シリャン) 東三省総督 1911年 - 1912年 次代: (廃止) 中華民国(北京政府)先代: (創設) 奉天都督 1912年3月 - 11月 次代: 張錫鑾 典拠管理 GND: 172993156 ISNI: 0000 0004 4460 0112 LCCN: n81079762 NDL: 00359882 NLA: 36732261 NTA: 156950715 Trove: 1440046 VIAF: 33322233, 81146998616718942939 WorldCat Identities: lccn-n81079762
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