赤電のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:45 UTC 版)
この色は3300形まで採用されたが、1972年に製造された3500形以降ではセミステンレス車体の採用により車体全体を塗装せず、帯にファイアオレンジを施したため、「赤電」と呼称されなくなった。1979年、京成は会社再建による塗装工程の簡略化と塗装統一によるローコスト化のために、翌年1980年2月より1982年4月までに全車両が新赤電色になった。新赤電色は全体を赤色とし、ステンレスの縁取りがあるモーンアイボリーの帯を施していた(ミスティラベンダはこれ以降使用されなくなった)。経営危機と同時点に現れたため、『消防電車(=火の車)』、『会社も赤(字)だと電車まで赤い』と揶揄されるなど、必ずしも評判がよいものとはいえなかった。 1991年の3700形登場時に在来鋼製車の塗色変更が検討されることになり、同年12月から3200形4編成を使用して塗色試験が行われ、1993年6月以降、全般・重要部検査の際にアクティブシルバーにヒューマンレッド・フューチャーブルー(3400形で採用)の帯を配したものに再変更された(1991年に廃車済の3000形と同時期廃車が進行していた3050形全車および3100形の一部を除く)。1995年6月までにすべて変更され、新赤電色は使用されなくなった。 1994年、3050形が改軌35周年を記念して赤電色に復元され、1995年2月まで運行された。2007年には3200形の3298編成が開運号リバイバル運転に使用するのを主目的として赤電色に塗装変更され、1月17日より同年3月まで使用された(但し3200形の帯はステンレスではなくステッカーで表現した)。開運号のリバイバル運転は同年1月28日に実施された。さらに、3300形2本が京成100周年を記念し、2009年 - 2013年に旧赤電色と新赤電色になった。 なお旧赤電色は、かつて京成が出資していた南部縦貫鉄道でも見ることができた。2002年に廃止されたが、車両は旧七戸駅構内で動態保存されているため、現在でも旧赤電色を見ることができる。
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