賛育会の創設とは? わかりやすく解説

賛育会の創設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:41 UTC 版)

賛育会病院」の記事における「賛育会の創設」の解説

賛育会は1888年5月13日結成され東京帝国大学学生基督教青年会東大YMCA)の会員有志によって、1918年創設された。当時医療庶民には手の届かないものであり、東大YMCA庶民医療提供するために、まず1917年無料診療を行う診療所青年会医院)を設置した苦情等で医院継続困難になると、当時東大YMCA理事長東京帝国大学法科大学教授吉野作造指導の下、下層母子医療提供することを目的として妊婦及び乳児相談所を開くことになった吉野病没するまで夫妻で賛育会の活動参加し指導的役割果たした。会については「婦人小児保護保健救療」を目的として、1918年3月16日第1回総会開き設立決定したとされるが、実際のところは定かではないようである。会の名称は、初代理事長である木下正中(元東京帝国大学医科大学産科学婦人科学講座教授)が『中庸』の第21章にある「天地化育ヲ賛ク(てんちのかいくをたすく、万物発育助けるの意)」からつけた。 賛育会は1918年4月1日本所区太平町一丁目27番地古工場を借りて、「賛育会妊婦乳児相談所」を開設した。これが賛育会病院はじまりとなった。翌1919年8月1日本所区柳島梅森町55番地現在の墨田区太平三丁目20番2号)に相談所を移転する形で本所産院開設された。これは「日本において庶民対象とする産院最初」だったという。医務木下河田茂(賛育会専務理事)など、経営面藤田逸男(賛育会専務理事東大YMCA主事)、吉野作造(賛育会理事)、星島二郎(賛育会理事、弁護士、後に衆議院議長)、片山哲(賛育会理事、弁護士、後に内閣総理大臣)が参画した。 1923年関東大震災病院罹災したが、職員救護班設置して救援活動あたった。しかし、それまで木下主張などにより原則無料診療であった病院は、それまで経済的に支援してきた木下病院同時に焼失したため、自立要請され無償慈善事業から有償社会事業転換することになる。

※この「賛育会の創設」の解説は、「賛育会病院」の解説の一部です。
「賛育会の創設」を含む「賛育会病院」の記事については、「賛育会病院」の概要を参照ください。

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