賛辞と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 09:04 UTC 版)
グリッケンの同僚は彼の業績を称賛していたにもかかわらず、彼を奇抜だとみなし、大いに秩序を乱す者と考えていた。おしゃべりで極度に感受性が強いことで知られ、仲間内からは変わり者とみなされることが多く、細部にこだわり過ぎることもあったという。 ある友人は「ハリーは全ての人格が個性的だった。ハリーを知っている者なら誰でも、彼が科学者として優秀な者であることに驚いていた」とした上で、グリッケンが車を運転する際の習慣については「全速力で道路を走りたがり、彼にとって重要なこと全てについて語り、信号機のある交差点に来ても気にせずに通過し、通過したことに気づいてすらなかったという、漫画のような性格だ」と語っている。 グリッケンの父・ミルトンは1991年、グリッケンが「その情熱を追求しているうちに死んだ」とした上で、「火山学に全的に没頭していた」とも語った。 アメリカ地質調査所の同僚だったドン・ピーターソンは、グリッケンが「観察したものに情熱的にアプローチすることを熱望していた」とし、その経歴を通じて大学院生としての業績を称賛している。 グリッケンの指導教授だったリチャード・V・フィッシャーは、その分野でのグリッケン個人の情熱について語り、「セント・ヘレンズ山で起きたことは、長い間グリッケンを深く悩ませたものであり、ある意味で以前よりもさらにその分野に没頭させることになったと考えられる」と記している。 同僚のロビン・ホルコームは「ハリーは大変情熱的であり、聡明であり、大望があり、火山について価値のあることを行おうと切望していた」と述べている。 多くの研究が、グリッケンの提唱した火山地滑りの分類を利用しており、その後の多くの論文はグリッケンの1996年の報告書を認知し引用している。アメリカ地質調査所雇員であるドン・スワンソンは、グリッケンの業績全体を顧みて「火山岩屑なだれの研究で世界の指導者」だと称えている。 グリッケンはカリフォルニア大学サンタバーバラ校と密接な繋がりがあり、そこで博士号を取得し、研究を続けた。グリッケンの大学との協業を記憶するために、毎年地球科学部が地質学の分野で優れた卒業生に「ハリー・グリッケン記念卒業奨学金」を与えている。これはハリー・グリッケン基金が創設したものであり、火山の挙動に関する研究を行う学生を支援することを目指している。
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