賛美歌との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 09:10 UTC 版)
メロディーは、1802年頃には英米で賛美歌(チューン・ネーム:Austria)として採用されており、これはホフマン・フォン・ファラースレーベンによる愛国歌の作詞より前のことである。 メロディーの使用例として、日本基督教団讃美歌 (1954年版)194番『さかえにみちたる』が挙げられる。原歌詞は「アメイジング・グレイス」で有名なジョン・ニュートンによる(1779年、歌詞初行: Glorious things of thee are spoken)。神が治める天のエルサレムを称える内容であり、皇帝賛歌とは関係がない。日本基督教団の最新の賛美歌集 (讃美歌21) には採用されなかったが、日本福音連盟新聖歌(2001年版)145番、救世軍歌(1997年版)362番・367番などでは引き続きこのメロディーが使用されている。 国歌と賛美歌が同じメロディーを用いているために生じた問題もある。 エホバの証人も、1905年から1938年頃までこの賛美歌を歌っていた(歌詞はジョン・ニュートンの詞のアレンジ版)。ナチスによる弾圧が強まった1933年の6月、ドイツの信者らはベルリンで抗議集会を開催したが、開会の歌がこの賛美歌であった。これは後に、「ナチス懐柔のために国歌の曲を歌った」と批評家から指摘されることになった。エホバの証人側は「1905年以来賛美歌として歌ってきた曲が 後からドイツ国歌とされた」と反論している。さらに、批評家からは「教団のドイツ語版歌集に初掲載されたのは1928年で、ドイツ国歌となった1922年より後」と指摘されたが(参照: ドイツ語サイト)、しかし、ドイツ国歌はナチス台頭前から存在すること、当時エホバの証人の活動が政府の監視下にあったこと、当時の翻訳はタイプライターなどを使って手作業でなされたことなどを考え、エホバの証人側はこうした非難は事実無根であると反論している。
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