貢献・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 06:50 UTC 版)
「ウィリアム・グラハム・サムナー」の記事における「貢献・活動」の解説
サムナーの社会学者としての最大の貢献は、伝播、風俗、エスノセントリズムといった概念を発展させたことである。風俗研究を通じて彼は、政府が音頭を取って社会改革を試みても益はないという結論に至った。経済政策についても古典的自由主義を信奉し、自由貿易の実現を頑固に主張した。存命中から彼の信奉者たちによってサムナー・クラブと呼ばれる集まりがあちこちに作られた。 社会主義と共産主義を敵対視し、とりわけ当時アメリカで人気を博していたエドワード・ベラミー(『顧みれば』を1888年に出版)を名指しで非難した。 エドワード・アトキンソン、ムーアフィールド・ストーリー、グロバー・クリーブランドなど当時の多くの古典的自由主義の信奉者たちと同様、対スペイン戦争には反対の立場をとり、その後フィリピンで起こった暴動を鎮圧しようとするアメリカ軍の活動にも反対した。合衆国領土の拡大をめざす拡張政策に反対するため対スペイン戦争後に形成されたアメリカ反帝国主義連盟ではサムナーは副会長を務めた。「合衆国の征服」と題した講演では、帝国主義を痛罵し、軍国主義化に反対する小さな政府の理想を擁護している。サムナーによれば、帝国主義は新たな金権政治の始まりなのであり、政府からの契約と補助金を当てにする実業家たちの傀儡なのである。 1870年代のサムナーの著作はイギリスの社会進化論者ハーバート・スペンサーに想を受けた社会ダーウィニズムの影響が色濃いが、1885年前後からスペンサーの影響は減退している。 サムナーの薫陶をうけた人々として、人類学者アルバート・ケラー、経済学者アーヴィング・フィッシャー、人類学的知見を経済学に適用としたソースティン・ヴェブレンなど。
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