財前の最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:33 UTC 版)
翌日、最高裁へ上告した後に行った検査の結果、財前の体は胃角部の胃癌(2003年版では肺癌、2019年版では膵臓癌)に蝕まれており、財前には別の患者のX線写真を渡して胃潰瘍だと説明された。しかし、金井が早い入院・手術を勧めた事と、臨床医としての経験から胃癌と胃潰瘍の併発を疑い、翌日休養をとって密かに里見の検査を受ける。結果は財前の予想通りだったが、里見も真実を隠して胃潰瘍と説明する。財前の意思を知った里見の懇願により、師である東貞蔵執刀の下、手術が行われたが、すでに肝臓にまで転移し手術不能の状態で、わずか20分で何もせずに縫合された。そして里見の懇願により5-FUの投与が決定される。 手術直後から財前には食欲不振などの症状が出ていたが、術後1週間目からの5-FUの投与により一旦は症状が改善される。だが、緘口令が敷かれる中で財前の病状は次第に進行し、術後3週間目になって食欲不振がぶり返し、5-FUの副作用の下痢が出たことと、肝転移による黄疸が出た事などによって財前の疑念は確信に変わった。金井を激しく問い詰めたが嘘を重ねるだけだったため、「もういい!」と追い返す。もはや部下でさえ信用できなくなった財前は里見を呼び自らの病について問いただすが答えてもらえなかった。それに対し、「癌専門医の僕が自分の病状の真実を知らずにいるのはあまりに残酷だ」と哀訴するように訴え、本物のカルテ等を見せてくれるよう鵜飼医学部長らに頼んでほしい旨、里見に依頼する。里見は対応を協議していた鵜飼達に、財前が真実を知った事を伝えたが、財前の元には戻らなかったため、これが二人の最後の会話となった。 「病状を知られれば、ショックで死期が早まる」と鵜飼が危惧していた通り、里見との会話の翌日から財前の症状は悪化し、腹痛と脊髄リンパ腺への転移による激痛にのたうちながらもうめき声を上げず必死に耐えるなど、癌専門医としての矜持を保とうとした。見かねた又一の懇願を受けて金井らはモルヒネと硬膜外麻酔により痛みを抑え、交代で泊まり込みの看病を行ったが、流動食さえ口に出来なくなった財前は急激にやせ衰えていった。そして手術からちょうど1カ月後に肝性昏睡によりうわ言を口にする。駆け付けた東、里見らが立ち会う中、過去の出来事の情景、自分を裏切った柳原への憎悪、そして佐々木庸平の術後の往診に行かなかった事を後悔する言葉を残して死去。
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