豪徳寺説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 03:29 UTC 版)
東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。 江戸時代に彦根藩第二代藩主井伊直孝(藩主1602年 - 1659年)が、鷹狩りの帰りに弘徳院という小寺の前を通りかかった。その時この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、藩主一行は寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、寛永10年(1633年)、弘徳庵に多額の寄進をし井伊家の江戸の菩提寺と定め、弘徳庵は大寺院の豪徳寺 となった。歴代藩主や正室の半数ほどの墓所が存在し、幕末の藩主で桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓も豪徳寺にある。 和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。 また、同じ豪徳寺説でも別の話もある。直孝一行が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした、というものである。 これらの猫をモデルとした著名なキャラクターが、井伊家の居城であった滋賀県彦根市の彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。 招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げ小判を掲示しているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは商家ではなく武家である井伊家の菩提寺であるためであるとされる。豪徳寺は小判を持っていない理由として「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から、としている。ただしもっとも古例である上記の丸〆猫はそもそも小判は持っていない。
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