豪州王座獲得とは? わかりやすく解説

豪州王座獲得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 05:35 UTC 版)

ジミー・カラザース」の記事における「豪州王座獲得」の解説

1951年5月14日の夜、シドニースタジアムで豪州バンタム級王者エリー・ベネットに挑戦ベネット世界ランク5位でKO率の高い選手だったが、試合前にベネットバンデージ細工をしている様子トレーナーマコーネル気付きベネットマネージャーバンデージの下はテーピングかしないことになっていたはずだがと知らせた警察立会いの下で両者テーピングをし、バンデージ巻いた。 カラザースは1ポイント許さず判定勝ちでプロ転向後初の王座獲得した試合そのものは非常にクリーンで、両者ともにノックダウンはなかったが、スタジアム埋めた観客大喝采送った試合後、カラザースは4回に左手傷め終盤には左目の腫れも気になっていたと語りマコーネルスタジアム社が世界王者のタウィールを呼んでオーストラリア挑戦させてくれることを望むと語っている。ベネットマネージャーは、契約基づいて権利行使し3、4週間のうちに再戦させたい話したが、これは実現しなかった。 この日、シドニースタジアムでは、17時客席求めて列ができ始めたリングサイドはその週のうちに売り切れていたが、スタジアムの外ではチケットが3豪ポンド売られており、全12,500席が20時までに完売したチケット売り上げ戦後オーストラリア人同士対戦での最高額となった。カラザースは技術面優れていただけでなく、スタミナ勇気持ち合わせており、この頃からオーストラリアで最も有望な選手と言われ世界王者への期待高まっていった。プロ9戦目のことだった。 その後、カラザースは2人国外選手との試合経験。まず経験の浅い米国人に7回TKO勝利を収め続いて、マヌエル・オルティスへの3度世界挑戦経験を持つベテランで、小型軍艦異名をとるルイス・カスティージョ判定勝利した。 翌1952年3月豪州フライ級王者タフィー・ハンコックと対戦し体格の劣るハンコックに7回TKO勝ち。 同年4月、元豪州フェザー級王者レイ・コールマンとキャッチウェイト121ポンド対戦コールマン巧いボクサーだったが、カラザースのサウスポースタイルに動揺して終始バランス欠き接近戦仕掛けたものの12判定でカラザースに敗れた5月には米国人でニューイングランドバンタム級王者のジョニー・オブライエンとシドニースタジアムで対戦過去オーストラリアで3戦1勝のオブライエン判定勝利した豪州王座防衛せず、オブライエン戦までにプロデビュー以来14連勝重ねた

※この「豪州王座獲得」の解説は、「ジミー・カラザース」の解説の一部です。
「豪州王座獲得」を含む「ジミー・カラザース」の記事については、「ジミー・カラザース」の概要を参照ください。

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