認定物件の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:07 UTC 版)
重要美術品等認定物件は、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律施行規則」(昭和8年4月1日文部省令第10号)第1条により、絵画・彫刻・建造物・文書・典籍・書跡・刀剣・工芸品・考古学資料の概ね9分野より認定されることとなっていたが、当時の国宝指定物件(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に比して、いくつかの際立った特色がある。まず、国宝指定物件は社寺の所有品が大部分であるのに対し、重要美術品等認定物件は圧倒的に個人の所蔵品が多い。また、重要美術品等認定物件は、分野的には、刀剣、浮世絵、古筆(主として平安~鎌倉期の筆跡を指す)、宸翰(しんかん:天皇の筆跡)など、いくつかの特定分野の物件の認定が際立って多いのも特色である。美術品の海外流出防止ということを第一義に、迅速に認定作業が進められたことも、特定分野に認定品が偏っていることの一因とされている。美術品の海外流出を防止するための緊急措置として認定されたため,その価値が定まっていないものも多数混入することになった。 なお、制作から50年を経ていない美術品は認定対象となっておらず、たとえば明治天皇の書などは1件も認定されていない。また、当時その価値が一般にはほとんど認識されていなかった民芸品、円空仏、木喰仏などは認定の対象になっていない。一方で、第二次大戦後の文化財保護法では指定の対象となっていない西洋絵画がわずかながら重要美術品等認定物件となっていることは注目される。たとえば、大原美術館所蔵品のうち、エル・グレコ『受胎告知』をはじめ、ミレー、モロー、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(2点)、ピサロを含む6点の西洋絵画が1934年、重要美術品に認定されている。 重要美術品の認定は、1933年7月25日に504件が認定されたのが最初である。その後、認定作業は戦時色濃い世相のなかで淡々と進められ、第二次大戦終結直前の1945年8月4日にも200件以上の重要美術品が認定されている。最後に重要美術品認定の告示が出されたのは1949年(昭和24年)5月28日で、この時にも200件以上が認定されている。 1950年(昭和25年)の文化財保護法施行の時点において、認定の効力を保っていた重要美術品は約8,200件であった。なお、正確な認定件数については、資料によって若干の差があり、正確な件数は未詳である。
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