詩誌『ロシナンテ』とは? わかりやすく解説

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詩誌『ロシナンテ』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 05:34 UTC 版)

石原吉郎」の記事における「詩誌『ロシナンテ』」の解説

復員後金銭的に精神的に困難な生活の中で石原支えたのは詩作だった。当時回顧して、この時代作った詩は立原道造流の感傷的なものばかりだったと石原書いているが、同時に「それでも結構救いになったのかもしれない」とも述べている。 この時に書いた詩を5、6まとめて三好達治送ってみたところ意外なことに三好から石原宛に葉書返信があり、「まだ甘いところがあるが、素質のようなものが感じられる」という内容のものだった石原は、この時の三好からの葉書なければ石原詩人として立つことはあるいはなかったかもしれない述べており、また「今も私は、その一枚葉書心から感謝している」と書いている。これから後、石原次第詩人として本格的な道へ入っていくことになる。 当初、詩の投稿主目的賞金だった。入賞しやすそうな婦人雑誌に女の名前で投稿していたが、どこからも相手にされないことが続いたそのようなことを続けて半年経った1954年の夏、偶然書店で手にとったのが文芸雑誌文章倶楽部』(『現代詩手帖』の前身) で、家に帰る30分で1篇の詩 (「夜の招待」) を書いて石原はこの雑誌投稿した。2ヵ月経って石原の詩の掲載はなかったが、石原自身は「夜の招待」を詩だなどと思っていなかったので別に意に介するともなく、特に理由もないまま、また英会話クラス通いだす生活をしていた。ところが、しばらくして、初投稿した詩が『文章倶楽部』にいきなり特選掲載された。当時文章倶楽部投稿者たちにとって「夜の招待」は衝撃的な詩だったという。この時の選者は、鮎川信夫谷川俊太郎で、詩風立原道造影響なくなり、完全に自己流の詩に変わっていた。五味康祐も「夜の招待」をずいぶん褒めたという。この時の石原の驚きは相当だったようである。 また、この月に同誌の読者会東支部例会初め顔を出した。ここに集まっていた詩人たちと石原例外的に打ち解けた。ここで、新しく詩誌を作る話が進み同年暮れ忘年会席上誌名を『ロシナンテ』とすることに決まった。この名前は、本来は石原が第1詩集を出す時につけよう考えていたものだったが、忘年会の中の議論成り行きから誌名にとられたものだった集まっていたのは20歳そこそこ若い詩人ばかりで、石原1人だけ年齢高かった両者とも別段問題にするわけでもなかった。『ロシナンテ』は1955年昭和30年4月から隔月刊発行開始編集長好川誠一発行責任者石原がついた。 この時代のことを後に石原エッセイ集日常への強制』の中で書き帰国してから約3年間が自分にとって最も苦痛満ちた期間であった、それに比べればラーゲリ体験などほとんど問題にならない、と述べている。そのような苦痛満ちた生活の中で『ロシナンテ』の仲間との活動石原遅れてやってきた一種青春だったようである。 一方石原投稿作は『文章倶楽部』に「夜の招待」の翌月以降特選選ばれ翌年1955年昭和30年)の途中からは投稿ではなく本欄掲載されるようになった

※この「詩誌『ロシナンテ』」の解説は、「石原吉郎」の解説の一部です。
「詩誌『ロシナンテ』」を含む「石原吉郎」の記事については、「石原吉郎」の概要を参照ください。

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