評価と映画作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 15:29 UTC 版)
「クレオ・ド・メロード」の記事における「評価と映画作品」の解説
幼年期の節ですでに記述したとおり、クレオのバレエダンサーとしての技量は傑出したものではなかった。オペラ座での最高の当たり役はベルギー出身の振付家、ジョゼフ・ハンセン(en:Joseph Hansen (dancer))振付の『エトワール』(L'Étoile、アンドレ・ウォルムセール音楽、1897年初演)の花嫁役であり、助演クラスの役柄に過ぎなかった。 クレオが歴史に名を残したのは、ひとえにその美貌によるものである。レオポルド2世やクリムトだけではなく、数々の王侯貴族や有名人がクレオを崇拝し、後援者となった。ただし、自伝によればクレオは極めて身持ちの堅い女性であり、母親に見守られながら崇拝者たちの誘惑をことごとく退け続けてきたという。 彼女がベル・エポック期におけるクルチザンヌ(高級娼婦)と名指しされたのは、レオポルド2世とのゴシップによるといわれる。やがてクレオは、19世紀末とベル・エポックを代表する美女としてその名を歴史にとどめることになった。 クレオを題材とした映画は、1926年と2006年にそれぞれ製作されている。クレオが存命中の1926年に製作された『Frauen der Leidenschaft』は、ロルフ・ランドルフ(de:Rolf Randolf)が監督したドイツ映画である。クレオ役はアメリカ合衆国・イリノイ州生まれの女優ファーン・アンドラ(en:Fern Andra)が演じた。 2006年に製作された映画は、クレオとクリムトのエピソードに焦点をあてたものである。この映画『クリムト』ではサフロン・バロウズがクレオ(映画での役名はレア・ド・カストロ Lea de Castro)、ジョン・マルコヴィッチがクリムト役を演じている。 1895年頃 1903年頃 1910年頃
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