ベル・エポック期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:57 UTC 版)
第三共和政は、ブーランジェ事件やドレフュス事件といった政治的事件などによって安定せず、たびたび混乱を招いたため不人気であったが、ベル・エポックと呼ばれるパリの黄金時代を築いた。新たに立派な記念建造物や公共建築が作られ、特にパリ万国博覧会 (1889年) のために建設されたエッフェル塔はその代表的なものである。このエッフェル塔の建設に当たっては、ギー・ド・モーパッサンや、シャルル・グノーといったフランスの著名な芸術家などを中心に抗議声明が出されるなど、パリの景観をめぐる論争が繰り広げられた。 「#エッフェル塔をめぐる論争」も参照 パリは芸術の中心としての名声を高め、印象派の芸術家はパリの新しい景観に着想を得た。同時に、売春宿や、有名なムーラン・ルージュなどのキャバレーが多く、「ヨーロッパの罪の都」の評も得た。1900年には、パリに最初のメトロが開業する。同年、第2回夏季オリンピックの開催地となった。
※この「ベル・エポック期」の解説は、「パリの歴史」の解説の一部です。
「ベル・エポック期」を含む「パリの歴史」の記事については、「パリの歴史」の概要を参照ください。
- ベル・エポック期のページへのリンク